トップQs
タイムライン
チャット
視点

紀田上

ウィキペディアから

Remove ads

紀 田上(き の たうえ/たがみ)は、平安時代初期の貴族大納言紀船守の三男。官位従四位下尾張守

概要 凡例紀田上, 時代 ...

経歴

桓武朝延暦22年(803年従五位下叙爵し、延暦23年(804年内厩助次いで相模介に任ぜられ地方官に転じる。平城朝に入ると大同元年(806年)従五位上・相模守、大同3年(808年正五位下に叙任されるなど順調に昇進する。

大同4年(809年)相模守の任期を終えて帰京するが、平城上皇に従い平城京に移る[1]。大同5年(810年)正五位上次いで従四位下に続けて昇叙される。同年9月に発生した薬子の変に際しては、6日に嵯峨天皇の信頼が篤い坂上田村麻呂藤原冬嗣と共に平城京の造宮使に、10日には尾張守に任ぜられるが、結局平城上皇側で活動したらしく、変平定後の15日には佐渡権守左遷されている。

天長元年(824年)平城上皇の崩御に伴い罪を赦されて帰京するが、天長2年(825年)4月13日卒去享年56。最終官位散位従四位下。

人物

武芸家業とする紀氏の中にあって、華やかな才能があるとして評判が高く、政務にあたっては民心を失うことがなかったという[1]

官歴

日本後紀』による。

系譜

脚注

参考文献

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads