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結城耕造
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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結城 耕造(ゆうき こうぞう、1979年1月23日 - )は、日本の元サッカー選手。アビスパ福岡代表取締役社長[1]。神奈川県横浜市[2] 出身。父親は国立教育政策研究所名誉所員の結城忠。
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来歴
横浜フリューゲルスユース[2] から、二浪しての一般入試で早稲田大学[2] 法学部に入学し、早稲田大学ア式蹴球部で活躍した。
3年次の2002年に、大学を休学する形でジェフユナイテッド市原に入団する[2]。
市原加入当初はなかなか出場機会に恵まれなかったが、2004年シーズンから徐々に出番を増やす。2005年シーズンは、ワールドユースに出場していた水本裕貴が抜けている間にレギュラーとして活躍。水本が戻ってきた後も信頼を勝ち取りレギュラーとして定着した。その後は再度水本にポジションを奪われ、また怪我も重なって出場機会が減少する。
2008年6月、戸田和幸とのトレードの形で、DF陣の層の薄くなっていた当時J2のサンフレッチェ広島へレンタル移籍する[2]。移籍を決意したのは両親が広島市中区の出身ということもあった[3]。怪我人が続出したCB陣の穴を埋め、J1昇格に貢献した。同年末、千葉から戦力外通告され、レンタル先の広島では西河翔吾の復帰に伴い完全移籍もなかった。
2009年、早稲田大学に復学、早大公認のNPO法人ワセダクラブのスクールである、ワセダクラブ田無フットサルスクールコーチに就任しつつ、移籍先を探していた[4][5]。
同年7月、ドイツ2部のフォルトゥナ・デュッセルドルフと契約した[6]。ただ、厚い選手層に阻まれトップチームではほとんど出場機会に恵まれなく、2軍であるレギオナルリーガのフォルトゥナ・デュッセルドルフⅡでもプレーした。2010年01月10日、Wintercup2010(フォルトゥナ・デュッセルドルフ、バイヤー・レヴァークーゼン、VfLヴォルフスブルク、ボルシア・メンヒェングラートバッハの4チームによる大会)にて、レヴァークーゼン戦とメンヒェングラートバッハ戦にスタメンでフル出場。フォルトゥナはこの大会で唯一の2部クラブであるが、準優勝。特にレヴァークーゼン戦では手堅い守備で活躍し、1-0での勝利に貢献。地元紙から「クールで賢いプレーを披露」と評された[7]。
同シーズン末に退団し次の移籍先を探していた[8] が見つからず、現役引退した[9]。引退後、早稲田大学に復学した[9]。早稲田大学大学院経営管理研究科修了。不動産業・アパマングループのシステムソフト社傘下SS Technologies株式会社 社長。
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所属クラブ
- 1985年 - 1990年
FC本郷 (横浜市立本郷台小学校)
- 1991年 - 1993年
横浜市立本郷中学校
- 1994年 - 1996年
横浜フリューゲルスユース (神奈川県立柏陽高等学校)
- 1999年 - 2001年
早稲田大学
- 2002年 - 2008年
ジェフユナイテッド市原・千葉
- 2009年 - 2010年
フォルトゥナ・デュッセルドルフ
個人成績
- Jリーグ出場歴
- その他の国際公式戦
- 2006年
- A3チャンピオンズカップ 2試合0得点
脚注
- 2004年までは「ジェフユナイテッド市原」
出典
関連項目
外部リンク
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