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総社町総社
群馬県前橋市の地名 ウィキペディアから
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総社町総社(そうじゃまちそうじゃ)は、群馬県前橋市の地名。郵便番号は371-0852[2]。2013年現在の面積は2.61km2[4]。
地理
前橋市の西部、利根川の左岸、榛名山南東麓の台地上に位置している。
河川・用水
- 利根川
- 天狗岩用水
歴史
「惣社」という地名は鎌倉時代頃からある地名である。江戸時代になると、はじめ総社藩領、寛永10年に高崎藩領、旗本安藤氏領を経て、宝永7年には幕府領、寛保2年に沼田藩領、延享4年から前橋藩領だった。
年表
- 1889年4月1日 町村制施行により、総社町は高井村、植野村と合併し西群馬郡総社町が成立する。その際、旧町村名を大字名としたため、総社町大字総社となる。
- 1896年4月1日 郡統合(西群馬郡と片岡郡の統合)により群馬郡に所属する。
- 1954年4月1日 周辺1町5村(元総社村、上川淵村、芳賀村、桂萱村、下川淵村、東村)とともに総社町は前橋市へ編入する。その際、総社町になった際の3大字に「総社町」を冠称し、町名としたため前橋市総社町総社となる。
- 1969年 一部が問屋町1-2丁目となる。
- 1975年 一部が石倉町1-3,5丁目、大渡町1-2丁目、総社町1-3丁目となる。
- 1976年 一部が高井町1丁目となる。
- 1977年 一部が大友町1-3丁目、元総社町1-2丁目となる。
- 1983年 一部が石倉町1-5丁目となる。
地名
地名の由来は11世紀後半、国司政治の衰退期に、国司が国内の549社を勧請し神明帳を奉祀し、これを御神体として、上野国総社大明神として宮辺に社殿を建立したことにはじまる。慶長6年に秋元越中守長朝の領地となり、惣社の地より、上野勝山の地へ城づくりと町割りをして、慶長12年には古来の惣社に「元」の字を加え「元惣社」とし、新城の地を「総社町」と名付けた。
鎌倉時代頃は「惣社」と書いていたが、江戸時代頃になると、現在と同じ「総社」と書くようになっていった。
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世帯数と人口
2017年(平成29年)8月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
交通
鉄道
JR群馬総社駅
バス
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道路
国道は通っていらず、県道は群馬県道6号前橋箕郷線と群馬県道15号前橋伊香保線が通っている。
施設
- 前橋市立総社小学校
- 前橋市立第六中学校
- 前橋市立元総社中学校
- 前橋市総社歴史資料館
- 総社郵便局
- 大渡自動車学校
史跡

出典
参考文献
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