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美里町立砥用中学校
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美里町立砥用中学校(みさとちょうりつ ともちちゅうがっこう)は熊本県下益城郡美里町原町にある公立の中学校。
概要
- 歴史
- 砥用町内の下記の中学校2校が1982年(昭和57年)に統合して開校。現校名になったのは2004年(平成16年)。2022年(令和4年)に創立40周年を迎えた。
- 砥用町立砥用西小学校(ともちにし)
- 砥用町立砥用東小学校(ともちひがし)
- 校訓
- 「自主・責任・実践」
- 校歌
- 作詞は上野一徳、作曲は本住己未生による。歌詞は3番まであり、両番の歌詞中に校名の「砥用中」が登場する。
沿革
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- 旧・砥用西中学校(ともちにし)
- 1947年(昭和22年)- 学制改革が行われる(六・三制の実施)。
- 1948年(昭和23年)
- 1950年(昭和25年)
- 5月 - 独立校舎(第一期工事)が完成し、2・3年生を収容。校歌を制定。
- 9月 - プールが完成。
- 1951年(昭和26年)
- 3月 - 独立校舎(第二期工事)が完成し、1年生を収容。小学校との併設を解消。
- 8月 - 畜舎が完成。
- 1954年(昭和29年)
- 3月 - 独立校舎(第三期工事)が完成。
- 6月 - 自転車置き場・購買部が完成。
- 1955年(昭和30年)
- 1957年(昭和32年)4月 - 同年6月に下草野地区が中央村に編入(復帰)することになり、該当地区の児童が中央村立中央南中学校[3]に転出。
- 1960年(昭和35年)4月 - 校区改定により、砥用東中学校から豊富小学校[4]区の桑野・竹の原・中岳以外の地域が移管される。
- 1982年(昭和57年)3月31日 - 砥用町立砥用中学校への統合により閉校。35年の歴史に幕を閉じる。校地・校舎は新設の砥用中学校に継承される。
- 最終所在地 - 熊本県下益城郡砥用町原町330番地(北緯32度37分12.9秒 東経130度52分03.2秒)
- 校歌 - 1950年(昭和25年)制定。作詞は斉藤志鉄と西寺東皐、作曲は中川くに子による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「砥中」が登場。
- 旧・砥用東小学校(ともちひがし)
(旧・畝野小学校敷地内)
- 1947年(昭和22年)- 学制改革が行われる(六・三制の実施)。
- 1948年(昭和23年)3月31日 - 東砥用青年学校(東砥用小学校に併置)の廃止により、校舎が中学校に移管される。
- 1949年(昭和24年)9月 - 最終所在地に新校舎(第一期工事)が完成。
- 1950年(昭和25年)8月 - 運動場を拡張。
- 1952年(昭和27年)4月 - 新校舎(第二期工事)が完成。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 砥用町と東砥用村の合併により、「砥用町立砥用東中学校」に改称(「東」の位置を変更)。
- 1957年(昭和32年)3月 - 5教室が完成。
- 1960年(昭和35年)
- 4月 - 校区改定により、豊富小学校[4]区の桑野・竹の原・中岳を残して、それ以外は砥用西中学校へ移管。
- 12月 - 運動場を拡張。
- 1961年(昭和36年)
- 3月 - 校舎を増築。
- 9月 - 運動場を拡張。
- 10月 - 体育館が完成。
- 1982年(昭和57年)3月31日 - 砥用町立砥用中学校への統合により閉校。35年の歴史に幕を閉じる。
- 最終所在地 - 熊本県下益城郡砥用町畝野1944番地(北緯32度38分22.7秒 東経130度55分07.8秒)
- 校歌 - 作詞は北島道治、作曲は近衛秀磨による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「砥用東中学」が登場。
- 跡地には、同年新設の砥用町立励徳小学校が移転し、校地・校舎を継承している。
- 統合・砥用中学校
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交通アクセス
- 最寄りのバス停留所
- 熊本バス 「砥用・学校前」停留所
- 最寄りの幹線道路
周辺
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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