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羽黒 (桜川市)

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羽黒 (桜川市)
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羽黒(はぐろ)は、茨城県桜川市東部の地名[5]。現行政地名は友部、西小塙、加茂部、松田、磯部、水戸、上城、稲、高幡[5]。一次生活圏を形成し、西小塙、加茂部、友部地区では旧東那珂村の中心である羽黒市街地を形成している[5]

概要 羽黒, 国 ...
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羽黒市街地
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概要

桜川市の北東部、笠間市との境に位置し、地区の中心を筑輪川(弁天川)が流れている。岩瀬盆地では東部に位置し、羽黒盆地として独立して記されることもある。石材業が盛んで羽黒青糠目石というブランドを持ち、かつて結城街道で笠間に次ぐ規模の宿駅であった。

地価

住宅地の地価は、2022年(令和4年)1月1日の公示地価によれば、友部字水代207番の地点で1万7400円/m2となっている[6]

域内の地区

加茂部

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羽黒上町の通り

笠間市との境、結城街道沿いの宿場であった。1889年の町村制施行まで加茂部村であり、また羽黒上町との別名を持つ。鴨大神御子神主玉神社桜川警察署羽黒駐在所が位置する。

西小塙

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羽黒下町の通り

羽黒市街地の北部。元、小塙村。明治元年に改称し町村制施行まで西小塙村と名乗った。羽黒下町との別名を持ち、大規模な路村が広がっている。東那珂郵便局、西小塙児童公園、県営寺前住宅、ニ所神社が位置し、笠間方から西小塙一三と分かれている他、地区北部に稲荷前(とうかまえ)集落がある。

友部

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羽黒駅旧駅舎(2007年1月)

羽黒市街地の中心部。町村制施行まで友部村を名乗った。羽黒駅羽黒小学校岩瀬日本大学高等学校、農村環境改善センター、岩瀬東部認定こども園、枡箕ケ池、東山香取神社、四ツ榎稲荷神社、多数の商業施設が位置する。友部地区内は羽黒駅前東友部西友部稲荷橋(結城街道稲荷橋の周辺・磯部入口)、山田に分かれている。

磯部

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桜川のサクラ(ソメイヨシノ)

磯部桜川公園磯部稲村神社岩瀬東中学校、桜川運動公園が位置する。町村制施行まで磯部村を名乗った。磯部桜川公園の一部と磯部稲村神社参道は「桜川」として名勝に指定されている。

上城

大規模な遺構が残る橋本城跡、村社・爪黒神社が位置する。1878年(明治11年)に橋本村谷中村が合併し、町村制施行まで上城村を名乗った。上城地区内は橋本(岩瀬街道沿い)、谷中(結城街道沿い)、向谷中(桜川北側)に分かれている。谷中地区内にて桜川と筑輪川が合流する。

その他

松田水戸高幡地区がある。世帯数と人口

2022年(令和4年)4月1日現在の世帯数と人口は以下の通り[2]

さらに見る 地区名, 自治会区名 ...
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歴史

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西小塙から望む羽黒山

けら踊り

毎年8月20日頃に開催される、西小塙上地区に古くから続いている伝統芸能。リズムの早い踊りで、昆虫のけら虫が忙しく土を掘り起こす動作を真似たといわれており、太鼓の音もあわただしく、化粧した男女の踊り手が腰を深くかがめながら大形に踊るさまが特徴の郷土芸能である。

平成初期に当時の地区区長らがまだ若い頃、けら踊りが忘れられるのを憂いて、古老の指導を受け復活したため毎年盛大に続けられている。

寛延二年の山外郷百姓一揆の指導者であった磯部清太夫、萩原太郎左衛門、藤井佐太郎の処刑を悲しみ、その鎮魂慰霊のためにけら踊りが出来たとも伝えられている。

羽黒第1地区土地区画整理事業

組合施行で羽黒市街地西側の筑輪川周辺25.8haを開発するとした事業。1978年から構想が進められていたが、2002年12月に事業休止となった[7]

現在[いつ?]は農地であるが事業の施行を見越して耕地整理は実施されず、耕作放棄化されるなど未利用地化している。また地区の東西は市街化区域、南北は鉄道と既存集落に囲まれているため、地区内農地は周辺の農用地区域との一体性はない。 当該地区内には南北を縦断する都市計画道路が計画されているが着工されず、国道50号の幅員拡幅も未着手の状態である[7]

交通

鉄道

バス

道路

施設・名所

商業施設

教育機関

保育機関

  • 岩瀬東部認定こども園

神社・寺院

名所

その他

  • 桜川運動公園
  • 農村環境改善センター(岩瀬東部公民館の代替)

関連項目

脚注

外部リンク

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