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若闘将敏男
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若闘将 敏男(わかとうしょう としお、1968年10月23日 - )は、間垣部屋所属の元大相撲力士。千葉市出身。韓国国籍であり本名は黄 敏夫(황민부、ファン・ミンブ)。日本における通名は金本 敏夫(かねもと としお)。身長182cm、体重115kg。血液型B型。最高位は東十両9枚目(1992年9月場所)。得意技は左四つ、上手投げ。
来歴
運転手の二男で、千葉市立千草台中学校から習志野市立習志野高等学校では柔道部に所属し、千葉市大会で個人優勝を果たす活躍を見せた。他にも空手・野球も習っており、当初はプロレスラーを志していたのでウェイトトレーニングのジムにも通っていた。しかし、高校2年生の春に「力士になろう」と急に力士を志し、それを知ったジムの会長が間垣部屋を紹介したので、高校を2年で中退して入門した[1]。1985年7月場所に16歳で初土俵を踏んだ。相撲経験はなかったが、幕下でやや苦労した時以外はおおむね順調に番付を上げていき、1992年7月場所に22歳の若さで十両に昇進した。足腰の良さを活かした左四つからの強烈な上手投げで期待されたが、左足首の怪我もあり十両に定着できず、1993年3月場所を最後に幕下に陥落した。幕下陥落後も幕下で相撲を取ったが、同年9月場所を最後に24歳で現役を引退した。
引退後は実業家に転身し、自動車販売業や金融会社を経営した。しかし、2000年5月11日、経営していた金融会社で多重債務者を相手に他の融資先紹介手数料として多額の金を騙し取った主犯格として詐欺容疑で逮捕され、実刑判決を受け服役した。2007年5月31日、貸金業法違反(無登録)と出資の受入れ、預り金及び金利等の取締りに関する法律(出資法)違反 (高金利)容疑で再び逮捕され、2007年9月に再び実刑判決が言い渡されている[2][3]。
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主な成績
- 生涯成績:205勝171敗7休 勝率.545
- 十両成績:35勝40敗 勝率.467
- 現役在位:50場所
- 十両在位:5場所
場所別成績
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改名歴
脚注
関連項目
外部リンク
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