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荒井修光
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荒井 修光(あらい のぶあき、1973年〈昭和48年〉8月11日 - )は、千葉県我孫子市出身[1]の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。現役引退後は北海道日本ハムファイターズの球団職員となっている。
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来歴・人物
我孫子シニア、我孫子高校、早稲田大学を経て、1995年ドラフト2位で日本ハムファイターズに入団[1]。
高校3年時に、ピッチャーとして甲子園に出場[1]。2勝をあげる。なおこの時の監督は、実父の荒井致徳であり話題となる[1]。早稲田大学では1年で2勝するが、2年のときに捕手へ転向[1]。東京六大学リーグ通算87試合出場、307打数74安打、打率.241、2本塁打、33打点。ベストナイン1回。織田淳哉、三澤興一とバッテリーを組む。日米大学野球代表となる[2]。東京六大学の同期では髙木大成、野村克則と捕手3人揃ってプロ入りした。
しかしプロでは思うような活躍ができず、2003年オフに戦力外通告を受け、現役引退。
2004年からは日本ハムの球団職員に転身。同年から日本球界に復帰して入団した新庄剛志 (SHINJO) の専属広報を3年間務め[3]、新庄の現役引退後は選手の肖像権などを管理する球団のマーチャンダイジンググループに移動。その後、球団が加盟したNPO法人・北海道野球協議会に出向して、同協議会の事務局次長に就任した[4]。
2020年時点では、子供たちへの野球教室を展開する事業統轄本部エンターテイメント・クリエーション部アカデミーグループのグループ長を務めている[5]。
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詳細情報
年度別打撃成績
記録
- 初出場:1996年4月6日、対近鉄バファローズ1回戦(日生球場)、4回裏に捕手として出場
- 初打席:同上、6回表に高村祐から四球
- 初先発出場:1996年5月18日、対千葉ロッテマリーンズ8回戦(千葉マリンスタジアム)、8番・捕手として先発出場
- 初安打・初打点:同上、5回表に小宮山悟から適時打
- 初盗塁:2001年8月25日、対大阪近鉄バファローズ23回戦(大阪ドーム)、9回表に二盗(投手:山村宏樹、捕手:北川博敏)
背番号
- 22 (1996年 - 1998年)
- 9 (1999年 - 2003年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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