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藤原玄上

平安時代前期から中期にかけての公卿 ウィキペディアから

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藤原 玄上(ふじわら の はるうら/はるかみ/くろかみ)は、平安時代前期から中期にかけての公卿藤原南家巨勢麻呂流、中納言藤原諸葛の五男。官位従三位参議

概要 凡例藤原玄上, 時代 ...

経歴

刑部丞蔵人を経て、寛平2年(890年備前権介に転じると、のち上総介次いで権守と宇多朝後半は地方官を歴任し、この間の寛平5年(893年従五位下叙爵している。

宇多朝末の寛平9年(897年)に中務少輔として京官に復帰すると、延喜4年(904年)従五位上、延喜9年(909年)に正五位下、延喜11年(911年)に従四位下醍醐朝前半に順調に昇進を果たす。近衛中将を経て、延喜19年(919年参議刑部卿に任じられ公卿に列す。その後は長く議政官として刑部卿を兼帯し、この間の延長2年(924年正四位下に叙せられている。

朱雀朝の承平2年(932年従三位に昇進するが、翌承平3年(933年)正月21日薨去。享年78。最終官位は参議従三位行刑部卿。

人物

管絃に優れ、琵琶の名手であったとされる。また、琵琶の名器として伝承が伝わる「玄上(玄象)」は、玄上の持物であったという[1]

官歴

公卿補任』の記載に従う。

系譜

脚注

出典

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