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藤原能長

平安時代中期から後期の公卿。藤原頼宗の三男?四男?。正二位・内大臣、贈従一位、太政大臣。妻に三松興扶の娘 ウィキペディアから

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藤原 能長(ふじわら の よしなが)は、平安時代中期から後期にかけての公卿藤原北家中御門流右大臣藤原頼宗の四男。権大納言藤原能信の養子。官位正二位内大臣従一位太政大臣

概要 凡例藤原能長, 時代 ...
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経歴

若年より叔父で権大納言藤原能信の養子となり、その後継者として世に出る。後一条朝末の長元8年(1035年元服と同時に叙爵し、侍従に任官する。長元9年(1036年後朱雀天皇即位に伴って五位蔵人に任ぜられると、長暦2年(1038年従四位下に叙せられた後も侍従に再任するなど、天皇の身近に仕えた。長久3年(1042年正四位下蔵人頭右近衛中将に叙任されると、翌長久4年(1043年)には蔵人頭在任1年半ほどで早くも参議に任ぜられ公卿に列した。

議政官として左右中将を兼帯し、この間の寛徳2年(1045年従三位永承5年(1050年正三位次いで従二位と昇進を重ねる。参議在任18年を経て、康平4年(1061年権中納言に任ぜられた。

康平8年(1065年)養父・藤原能信が没すると、後朱雀天皇の第二皇子である尊仁親王の春宮大夫官職を引き継ぐ。治暦4年(1068年)に尊仁親王が即位後三条天皇)すると、前春宮大夫の功労により権大納言に昇進。後三条朝では天皇の側近として権勢を奮った。また、延久元年(1069年)今度は後三条天皇の皇子である春宮・貞仁親王の春宮大夫となり、さらに娘の道子を貞仁親王に入内させている。

延久4年(1072年)貞仁親王が践祚(白河天皇)すると、能長は春宮・実仁親王(白河天皇の皇太弟)の春宮大夫に任ぜられ、三代の春宮に対して大夫を務めることになった。承暦4年(1080年)出仕を止めていた内大臣藤原信長太政大臣に祭り上げられる人事により大臣の座が二つ空いた際、実兄の藤原俊家右大臣に、能長が内大臣にそれぞれ昇進している。

永保2年(1082年)10月に俊家が没すると、能長も後を追うように11月14日に薨去。享年61。最終官位は内大臣正二位兼皇太子傅。

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官歴

注記のないものは『公卿補任』による。

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系譜

脚注

参考文献

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