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藤原行家 (平安時代後期の貴族)

平安時代中期から後期の貴族。正四位下・讃岐守。子に真家(有家、延暦寺、阿闍梨)、定円(延暦寺)、信誉(延暦寺、阿闍梨) ウィキペディアから

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藤原 行家(ふじわら の ゆきいえ)は、平安時代中期から後期にかけての貴族藤原北家日野流真夏流)、式部権大輔藤原家経の次男。官位正四位下讃岐守

概要 凡例藤原 行家, 時代 ...

経歴

後冷泉朝康平3年(1060年対策に及第し、康平5年(1062年左衛門権佐(または左衛門少尉)に任ぜられる。また、この頃蔵人を務めている。

白河朝の前半は左衛門権佐を務める一方で、防鴨河使文章博士を兼帯し、この間の承暦2年(1078年従四位下に叙せられている。永保3年(1083年阿波守として地方官に転ずると、寛治4年(1090年美作守、寛治7年(1093年讃岐守と、白河朝後半から堀河朝前半にかけて地方官を務めた。またこの間の寛治元年(1087年)には堀河天皇大嘗会において主基方の和歌を献じている[1]。その後、堀河朝半ばには弾正大弼として京官に復し、位階正四位下に至った。康和2年(1100年)11月23日に延暦寺に登って出家し、長治3年(1106年)2月19日卒去享年78。

勅撰歌人として、『金葉和歌集』に1首の和歌作品が採録されている[2]

官歴

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系譜

尊卑分脈』による。

  • 父:藤原家経
  • 母:藤原公業の娘
  • 妻:藤原実範の娘
    • 男子:藤原行盛(1074-1134)
    • 男子:藤原広実(?-1087)
    • 男子:藤原宗国
  • 妻:藤原永業の娘
    • 男子:藤原有業(?-1132)
  • 生母不詳の子女
    • 男子:真家
    • 男子:定円
    • 男子:信誉
    • 女子:藤原良兼妾
    • 女子:高階敦遠妾

脚注

参考文献

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