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藤原顕綱
平安時代中期から後期の公家、歌人。藤原北家道綱流。藤原兼経の三男。正四位下・讃岐守。丹波守。 ウィキペディアから
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藤原 顕綱(ふじわら の あきつな)は、平安時代中期から後期にかけての貴族・歌人。藤原北家道綱流、参議・藤原兼経の三男。官位は正四位下・讃岐守。
経歴
治暦年間(1065年-1069年)に和泉守を務めると、丹波守・但馬守・讃岐守と後三条朝から白河朝にかけて地方官を歴任する。その後、出家して讃岐入道と号した。康和5年(1103年)6月27日卒去。享年75。最終官位は前讃岐守正四位下。ただし、翌長治元年(1104年)の藤原俊忠の歌合にその名が見えることから、この没年については疑問もあり、嘉承2年(1107年)頃没という説もある。
歌人として知られ、承暦2年(1078年)の内裏歌合などに出詠。家集として『讃岐入道集』(『顕綱朝臣集』)があり、『後拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に25首が入選している。また古典にも造詣が深く、『万葉集』の書写などを通じてその伝承に貢献した。
官歴
系譜
脚注
参考文献
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