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藤口実一
日本の陸上競技選手 ウィキペディアから
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藤口 実一(ふじぐち じついち、1905年〈明治38年〉1月16日[1] - 1981年〈昭和56年〉2月23日[1])は、日本の陸上競技選手、小中学校教師。五種競技の元日本記録保持者。藤口光紀は甥。
生涯
群馬県勢多郡粕川村大字新屋(現・前橋市粕川町新屋)に生まれる[1][2][3]。粕川尋常高等小学校卒業後、山田郡大間々普通学校を中退して1925年(大正14年)に群馬師範学校本科第一部を卒業した[1]。
群馬師範学校在学中から全国中等学校陸上競技大会に出場し800メートル競走を2分13秒の記録で優勝するなど活躍する[4]。
群馬師範学校卒業後は佐波郡宮郷尋常高等小学校訓導として勤務[1][4][3]。1925年(大正14年)、日本陸上競技選手権大会で五種競技に優勝し、3146.695点の日本新記録を樹立する[4]。さらに1927年(昭和2年)の日本選手権においても五種競技で3212.85点で日本新記録を更新して再び優勝を飾る[2]。同年上海で行われた第8回極東選手権競技大会にも日本代表として五種競技に出場するが、優勝は逃し準優勝に終わった[1][2][3]。
教員としては佐波郡東小学校、勢多郡笂井小学校などで勤務[1]。1931年(昭和6年)から1945年(昭和20年)までは台湾で小学校教員として勤務した[1][3]。戦後も大胡中学校、荒砥中学校などで教鞭を執る[1]。1956年(昭和31年)には群馬県教育委員会初代体育課長に就任[1][3]。桂萱中学校校長を1962年(昭和37年)まで勤めたのを最後に教職を去った[1][3]。
書道にも造詣があり、群馬県書道展の審査員も務めた[1][3]。
弟の藤口末光(1912年12月17日生[5])も十種競技選手として活躍し、1938年(昭和13年)の日本選手権で優勝[6][3]。1940年(昭和15年)に開催される予定だった東京オリンピックの候補選手に選ばれていた[7][3]。のち群馬県体育協会専務理事[5][3]。末光の長男がサッカー選手の藤口光紀である[3]。
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出典
参考文献
関連項目
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