トップQs
タイムライン
チャット
視点

藤子不二雄の読切一覧

日本の漫画家・藤子不二雄の単発作品一覧(「コマ漫画」含む。「イラスト」「文章」の一部を含む) ウィキペディアから

Remove ads

漫画家藤子不二雄(藤本弘と安孫子素雄)の読切、単発作品のタイトル一覧(時系列順)。各年のそれぞれの仕事量、合作状況などを一望できる。

連載作品の一覧(描き下ろし、別冊を含む)は 藤子不二雄の連載一覧 を参照。

掲載作品
  • 読切漫画作品を掲載。
  • 「数コマの漫画」「イラスト」「文章とイラスト」による単発作品を掲載。
  • 連載作の読切は基本的に除く。特筆すべき数点のみを掲載。
  • 文章のみの作品は基本的に除く。特筆すべき数点のみを掲載。
  • 単行本、別冊は除く。
  • 1952年以降の表内で、頭に「※」が付いた作品は未発表作品。
  • デビュー前の習作・投稿作のうち、単行本形式に仕立ててていないものを掲載。
    • 私製雑誌『RING』『少太陽』に掲載された作品を掲載(中には連載作品も含まれるが、本一覧に掲載)。
掲載年
  • 作品が掲載された雜誌や書籍の発売日を基準とする。
    • 例)1月号に掲載されたお正月がテーマの作品は前年の欄の末尾に掲載。
ペンネーム

Remove ads

1940年代

1946年

8月[1]、中学1年の藤本が『子供の科学』を読んで反射幻燈機を製作。反射幻燈機で上映する作品を安孫子と2人で作ることにする。9月に近所の子どもを集めて上映会を行い、大好評を博す[2]

  • 天空魔 - 初の合作。54コマ[3]
その他の反射幻燈機用の作品
* ポパイ - 封筒に「第三巻」と記載されている[4]

1948年 肉筆回覧誌『RING』

中学3年の8月[5]に創刊号を発行[6]。ほぼすべてを藤本と安孫子の2人で執筆した私製雑誌。2号で廃刊[7]

* 宇宙征服団 - 連載漫画。

1950年 -

要約
視点

肉筆回覧誌『少太陽』(1950年 - 1951年)

高校2年の4月から高校3年の4月までの約1年間、ほぼすべてを藤本と安孫子の2人で執筆して作り続けた私製雑誌。近所の子供に回覧して大好評を得た。5冊の現存が確認済。既存作家のパロディ的な作品から、本物の雑誌に投稿したが採用されなかった没原稿まで、多種多様な作品が掲載されている。

4月創刊号(1950年)

奥付に「昭和25年4月3日発行」と記載。全174頁[8]
  • 宇宙征服団(香取泉湖) - 『RING』からの連載漫画の完結編。
  • 昇る太陽(鳴動泰山 筆)
  • 鳳凰の舞(野波野正)
  • クリップちゃん(多賀丸雄) - 社友特別漫画。
三大連載
  • 地底戦争(白紐不二人 作、海野博 画) - 冒険漫画。
  • コーパーキャニヨン(小松原滋) - 西部絵物語。
  • 横町名探偵(本吉右郎)
旋風都市 - 執筆家紹介リレー物語。
  • 黄金タイガー(素野安彦) - 絵物語。
  • イオーリアン博士(海野博) - 漫画。
  • 大陰謀(近江敏次郎) - 漫画。
  • ニュウオークランド(小松原滋) - 絵物語。
  • 泉博士来る(香取泉湖) - 漫画。
  • 海底トンネル(小折右人) - 漫画。
  • 地の底(星伴蛭二) - 漫画。
  • 怪人対巨人(割戸泥児) -漫画。
その他
  • 表紙「四月の微笑」(素野安彦)
  • 目次カット(島一雄)
  • 壁頭の辞(本社社長JHON. WILL AMSON)
  • 日下部亘先生ペン画集 - 「亘」の字は日の右に縦棒が入る。
  • 漫画面白大会(菊田哲三、多賀丸雄、小折右人、山田進一)
  • 3ちゃんの希望探訪(星伴先生の巻)

5月号 子供の日お祝い号(1950年)

奥付に「昭和25年5月1日発行」と記載。全74頁。
漫画まつり
  • ビアダル君(島一雄)
  • ボクシング(村田晶一) - フィルムマンガ。
  • クリップちゃん(多賀丸雄) - 多賀丸雄は本誌社友。
  • あきすに御用心(太紅秀吉) - 作者名の読みは「おうべにひでき」。
その他
  • 日下部亘先生ペン画集
    • 天皇陛下
    • 藤村選手
    • 土井桓選手
    • 荒巻選手

新年特大号(1951年)

奥付に「昭和26年1月21日発行」と記載。全106頁。
漫画オンパレード
  • ボウヤと雪ダルマ(丹本安夫) - 作者の読みは「にもとやすお」。
  • 海外ののんきな父さん アダムソンの川渡り/アダムソンのおそうじ(ヤコブソン)
特別小説
  • はんごん丹(池上秀雄)
  • 金庫破り(オー・ヘンリー) - 世界名作。絵物語。文 岩崎純孝、ゑ 三田康。
その他漫画
  • 不二雄短編集(手塚不二雄) - 1コマ漫画集。
  • クリップちゃん(多賀丸雄) - 第四回。
  • こっくり右門(島一夫)
その他
  • 表紙「日本の春」(素野安彦)
  • 日下部亘ペン画集 - 世界の偉人。
    • マツカアサー
    • 湯川秀樹
    • ジュリアス・シーザー
    • ジョージ・ワシントン
  • 大懸賞特別口絵
    • (A)アラブの警官、(B)(2丁拳銃のガンマン)、(C)連載している冒険マンガの一場面
  • マンガ・スクール
  • 日本シリーズ 毎日、松竹を降す
  • 手塚治虫『珍アラビアンナイト』の広告
  • ディズニィの短編漫画『牡牛のフェルディナンド』のあらすじ

第六号(1951年春)

一周年記念号[9]
  • 日出る(鳴堂泰山 筆) - 特別口絵。
  • 地底戦争(海野博) - 連載冒険漫画。
  • コーパーキャニヨン(小松原滋) - 連載絵物語。
特別二大短編漫画
その他
  • 表紙「僕の愛犬」(素野安彦)
  • 目次カット(島一雄) - 桜の花びらが舞い散る中、学帽の少年たちが先生に挨拶するイラスト。
  • スケッチの描き方 誌上指導(海野博、小松原滋、素野安彦)
  • 一周年記念まんがオンパレード(多賀丸雄、愛曽一夫、篠崎野郎、吉貝兵印、石川誠、太紅秀吉、山田純稔、須田貫馬)
  • 3ちゃんの希望探訪(小松原滋の巻)

1950年度の短編漫画(投稿または習作)

高校2年の頃から、短編漫画を雑誌に投稿してプロデビューを目指していた。『まんが道』春雷編「レポート」の回に登場する、手塚治虫へのファンレターのフロクとして執筆された「レポート」内で語られている1950年度の短編漫画作品は以下の通り[3]

さらに見る #, タイトル ...

1950 - 1952年5月掲載のアマチュア投稿コマ漫画

高校1年(1949年末)からプロデビュー後の高校卒業前まで、『漫画少年』、地方新聞、大人雑誌等に1コマ漫画、4コマ漫画、2頁の漫画等を投稿を行った結果、多数の作品が掲載された。

1952 - 1954年7月(高岡時代)

1951年12月に高校3年でプロデビュー。1952年1953年の作品は、藤本は高岡の自宅で専業漫画家として、安孫子は昼は富山市の新聞社に勤務する兼業漫画家として執筆した。

安孫子は1953年末に新聞社を退社。2人は1954年6月末に上京する。下表を見ると。『一米四方の冒険』から『お化け退治』までの4本の合作は高岡で2人でじっくり執筆したが、上京後は仕事量が増え、単発の作品はほとんど個人で担当していたことがわかる。

さらに見る 連載, 西暦 ...

1954年8月 - 12月

6月末に上京。両国の2畳の下宿で生活し執筆を行う。10月30日にトキワ荘に転居。下表の11月の欄に記されている作品は、いずれも掲載誌が上旬に発売されているので、両国時代に執筆されたことが確実である。

「漫画少年テーマ特集」を毎月執筆。当初は藤本が担当し、11月からは安孫子が担当(11月から連載『ゆりかちゃん』、12月から連載『海底人間メバル』が始まっており、この2作はいずれも藤本担当作である)。

さらに見る 連載, 西暦 ...
1954年の詳細不明作品(藤子論の作品リストに「不明」として記載)
  • 魔法のつぼ(漫画少年)
  • かげえとほんものは大ちがい(8コマ。漫画王10月号)
  • もしも新聞とラジオがなくなったならば?(14コマ。漫画王10月号)
  • 人気者つうかいゲーム(イラスト。漫画王1955年1月号付録)
Remove ads

1955年 - 1959年

要約
視点

1955年の正月に起こした原稿落とし事件により多数の連載を失ったため、同年は多くの読切を執筆した。

実際には、藤本は『ゆりかちゃん』の連載が9月発売号まで続き、その後も『少女』には12月発売号まで毎月読切を執筆したので、この年『少女』への執筆が途切れたのは『ゆりかちゃん』を休載した6、7月発売号のみ。安孫子も漫画少年のテーマ特集連載が9月発売の休刊号まで継続していた。連載が途切れ、仕事が極めて少なかったのは藤本は4〜5月頃、安孫子は8〜9月頃のみで、藤子不二雄としては連載(または毎月掲載の読切)は途切れていなかったことになる。同年末には多くの別冊執筆依頼が舞い込んだため、高岡から姉を呼ばなければいけないほど多忙になる。

1956年から新連載も複数開始され、多数の別冊の執筆も行ったため、読切の数は次第に限られていく。

1955年

さらに見る 連載, 西暦 ...
1955年の詳細不明作品(藤子論の作品リストに「不明」として記載)
  • 少年2月号
    • 二人三脚(4コマ)
    • ジャンプ(4コマ)
  • どこでしょう(イラスト。二年ブック2月号)
  • 海水浴場は大さわぎ!(漫画王8月号)
  • むっちんこっちん(幼年クラブ)
1950年代の未発表作品
  • 死刑執行者 - 藤本作品。SF短編[注釈 3]
  • ぬすまれた王女さま - 藤本作品。少女向け作品[注釈 3]

1956年

さらに見る 連載, 西暦 ...
1956年の詳細不明作品(藤子論の作品リストに「不明」として記載)
  • 夏の漫画大会(扉。冒険王 夏休み増刊)
  • (無題)(4コマ。たのしい一年生 9月創刊付録)
  • 少年 秋の増刊 探偵ブック
    • ドロボウ(1コマ)
    • 奇術(1コマ)
  • ぼくのスケッチ(15コマ。幼年ブック10月号)
  • 風魔黒馬隊(剣劇ブック)

1957年

さらに見る 連載, 西暦 ...
1957年の詳細不明作品(藤子論の作品リストに「不明」として記載)
  • ふたたび栄冠を(イラスト。漫画王4月号)
  • 宇宙児タケル(ぼくら)
  • アパッチ峠の決闘(少年クラブ)

1958年

さらに見る 連載, 西暦 ...
1958年の詳細不明作品(藤子論の作品リストに「不明」として記載)
  • しりもち(4コマ。たのしい二年生5月号)
  • ねこの目は、なぜよるでもみえるのですか。(6コマ。たのしい二年生6月号)
  • (無題)(4コマ。たのしい二年生7月号)
  • 猛獣の国アフリカを横断す!(イラスト。漫画王7月号)
  • どうぶつずかん(イラスト。たのしい一年生10月号)
  • おやおや おもしろいな(イラスト。たのしい二年生11月号)

1959年

さらに見る 連載, 西暦 ...
Remove ads

1960年代

要約
視点

1959年から少年週刊誌の時代となり、読切は毎年数本のみとなる。1961年に川崎市に隣同士で戸建住宅を新築し、10月にトキワ荘から転居。下表の『ロンリーガン』までがトキワ荘時代に描いた作品ということになる。

転居後は川崎の家を自宅兼仕事場としたが、1963年には中野にアニメ制作会社のスタジオゼロを設立し、下北沢に仕事場を借りる。下表では『ハリケーン・ロックの決闘』までが、川崎時代に描いたことが確実な作品である。

若者・大人向け漫画雑誌が次々と創刊され、安孫子は1968年の『黒イせぇるすまん』を皮切りにブラックユーモア短編を次々と発表していく。翌1969年に、藤本も大人向けの『ミノタウロスの皿』を発表する。

さらに見る 連載, 西暦 ...
Remove ads

1970年 -

要約
視点

安孫子は多数のブラックユーモア短編を毎年発表。藤本ものちにSF短編と呼ばれる作品群を増やしていく。その本数は1974年に逆転。安孫子の大人向け作品は連載へと軸を移していく。

さらに見る 連載, 西暦 ...
1970年代の発行年不明作品
  • 注意ぶかいペコとポコ(絵本。安孫子) - 表4に「初版 300万部発行」「二版 180万部発行」の次の行に字下げして「昭和47年 20万部発行」「作・画 藤子不二雄」と記載されている(数値は「3,000,000」等の形式で記載)。全16頁(表紙・裏表紙を含む)。藤子の絵が掲載されているのは全11頁。
  • 小学生の英語教室(英語教材) - 表紙絵担当[17]。1巻以降すべて同じ絵。
Remove ads

1975年 - 1979年

藤本は児童漫画の連載と並行して、少年誌、大人向け雜誌に多数の短編読切を発表する。安孫子の読切作はごく限られた本数となる。

さらに見る 連載, 西暦 ...
Remove ads

1980年 - 1987年

ドラえもんブーム、藤子不二雄ブームの時代。藤本の短編執筆は1983年までで落ち着きを見せる。安孫子は大山のぶ代の著書のカバーにドラえもん(藤本単独作)を含むイラストを執筆。「2人で1人の漫画家」としての活動が独立目前の時期も行われていたことが分かる。

さらに見る 連載, 西暦 ...
Remove ads

1988年

独立。それぞれ別のペンネームで作品を発表するようになる。

さらに見る 連載, 西暦 ...

1989年 - 1996年

藤本が改名。1989年には手塚治虫の追悼増刊の表紙画を安孫子が、読切漫画を藤本が手掛け、1993年には「私のアトム展」に出展する作品をそれぞれ手掛けるなど、関連した動きが見られる。

さらに見る 連載, 西暦 ...

1997年 - 1999年

1人の藤子不二雄時代に。

さらに見る 連載, 西暦 ...

2000年代

複数のCDジャケット画、書籍のカバー画を手掛ける。

さらに見る 連載, 西暦 ...
Remove ads

2010年代

2011年に描かれた『怪物くん 怪物ランドへご招待』が、最後の読切漫画作品となった。

さらに見る 連載, 西暦 ...

2020年代

さらに見る 連載, 西暦 ...


注釈

  • 本ページ内の、NUは『Neo Utopia』を、その次の数字は号数表す。
  • 本ページ内の「藤子論」は『藤子不二雄論 FとⒶの方程式』(出典参照)を表す。
  1. 最新のリスト(NU63)で合作扱いとなっていないが、合作と記されているリストも複数あり、NU32p97に合作分担が明記されているので合作扱いとした。
  2. 合作と記されているリストもあるが、最新のリスト(NU63)で合作扱いとなっていないので「安孫子担当作」扱いとした。
  3. 未発表原稿が2021年7月1日から藤子・F・不二雄ミュージアム「10周年記念原画展」にて展示。
  4. 『週刊少年サンデー』1962年1月14日号は1961年12月26日に発売。
  5. 安孫子作品として分類されることもあるが、藤本と安孫子の両方の絵柄が含まれている。未来技術を列挙した文章は、『21エモン』等の他作品の図解でも藤本が手掛けている。
  6. 『トラック一家』は複数の漫画家がリレーで執筆する連載漫画。安孫子はこの1回のみを担当。
  7. ドラえもんの絵は安孫子により本書向けのタッチで描かれている。
  8. 4月1日発売。書籍には「カバーイラスト 藤子不二雄+」と記載されているが、カバー画はほぼ安孫子が手掛け、ドラえもんの箇所のみ直前まで藤本のチーフアシスタントを務めていたいそほゆうすけが作画しており、作画上は安孫子と藤本による合作とはいえない。

出典

関連ページ

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads