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藤本悠介
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藤本 悠介(ふじもと ゆうすけ、1986年6月9日 - )は、福岡県田川郡金田町(現:福智町)出身で、阿武松部屋に所属していた元大相撲力士。本名同じ。身長178cm、体重138kg。血液型はA型。自己最高位は西幕下3枚目(2012年11月場所)。
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人物
金田町の米店で、8人兄弟の4人目として生まれ、幼少期は仕事を手伝って米袋を担いだりしていた。小学校4年次に貴闘力(元関脇)と出会ったことがきっかけとなり相撲を始めるようになり、小学生時代には既に力士になることを志していた。中学はアマチュア相撲の名門である明徳義塾中学校に進学し、相撲部に入部。中学3年次(2001年度)の全国都道府県中学生相撲選手権大会では、明徳義塾中学を優勝に導いた。中学卒業後はそのまま同高校に進学しており、同級生には栃煌山、德勝龍らがいる。
しかしプロに入門することを決意したため、1年で中退し、阿武松部屋に入門。2003年7月場所に初土俵。四股名は本名と同じで「藤本」。同期入門には德瀬川がいる。初めて番付に名前が載った翌9月場所は無傷の7連勝を記録し、序ノ口優勝。序二段に昇格した翌11月場所の4番相撲で敗れるまで10連勝を記録していた。プロ入り後1年間は負け越し知らずで番付を上げていったが、幕下を目前にした2004年9月場所で初の負け越し。以降、2年近く三段目で苦労することとなった。
2005年3月場所は5連勝として三段目の優勝争いに加わっていたが、6番相撲で幕内経験者の玉力道(現・松ヶ根)に敗れ、結局この場所は5勝2敗となった。2006年5月場所も5連勝としていたが、6番相撲で関取経験者の舞風に敗れ、この場所は6勝1敗に終わった。この2番とも、負けた相手はその場所の三段目優勝を飾っている。
2012年5月場所は東幕下20枚目で5連勝とし、幕下優勝が狙える状態であったが、6番相撲で兜岩に敗れて1敗を喫し、幕下優勝を逃した。なお、この場所は同部屋の寺下(のち丹蔵)が幕下優勝を決めている。同年11月場所は自己最高位を西幕下3枚目まで更新したが2勝5敗と負け越した。2014年11月場所限りで引退。
引退後は「Baseball MAPS」のアドバイザリースタッフを務めている[1]。
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主な成績
- 通算成績:249勝220敗(68場所)
- 幕下成績:143勝157敗(43場所)
- 各段優勝:序ノ口優勝1回(2003年9月場所)
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四股名変遷
- 藤本 悠介(ふじもと ゆうすけ) 2003年7月場所 - 2014年11月場所
脚注
参考資料
関連項目
外部リンク
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