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行方郡 (福島県)
日本の福島県(陸奥国・磐城国)にあった郡 ウィキペディアから
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行方郡(なめかたぐん)は、8世紀から1896年まで、現在の福島県東部にあった郡である。陸奥国(一時的に石城国、磐城国)、福島県に属した。

郡域
歴史
要約
視点
『先代旧事本紀』中の「国造本紀」には浮田国造と染羽国造が見え、それぞれ後の宇多郡と標葉郡にあたると考えられるが、地理的に宇多郡と標葉郡にはさまれている行方郡に対応する国造は記されていない。行方郡は国造がおさめた二つのクニから一部を割いて新設されたと推定される[1]。設置された時期が7世紀なら、はじめ行方評(なめかたのこおり、なめかたひょう)として設けられ、大宝元年(701年)に郡と改められたことになる。史料上の初見は養老2年(718年)で、遅くともこの時までは成立していた[2]。
行方郡と同名の行方郡が常陸国にあり、後述の『和名類聚抄』中の多珂郷は常陸国の多珂郡(多賀郡)と同じ名である。在地の国造ではなく、常陸国から来た移民を中心にして郡が建てられたのであろう[3]。
古代の郡衙の場所は新田川の河口付近、現在の南相馬市原町区泉にある泉官衙遺跡と推定されている[4]。位置は不明だが行方団という軍団も置かれていた。
平安時代の『和名類聚抄』による読みは「なめかた[5]」で、吉名・大江・多珂・子鶴・真欨・真野の6郷があった。「嶋□郷」(□は判読不能な文字)と書かれた8世紀の木簡が、泉官衙遺跡から出土しており、奈良時代にはもう一つの郷があったらしい[6]。
平安時代の郷
近代以降の沿革
町村制以降の沿革

- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の村が発足。特記以外は全域が現・南相馬市。(16村)
- 鹿島村 ← 鹿島村、北右田村、南右田村
- 原町村 ← 南新田村、桜井村、上渋佐村、下渋佐村
- 小高村 ← 小高村、南小高村、大井村、岡田村、片草村、塚原村、吉名村
- 上真野村 ← 浮田村、牛河内村、岡和田村、御山村、小池村、小山田村、橲原村、角川原村、栃窪村、上栃窪村、山下村、横手村
- 八沢村 ← 北海老村、南海老村、北屋形村、南屋形村、永田村、永渡村、南柚木村
- 真野村 ← 江垂村、大内村、小島田村、烏崎村、川子村、塩崎村、寺内村
- 高平村 ← 上高平村、下高平村、上北高平村、下北高平村、泉村、北泉村、金沢村
- 石神村 ← 石神村、牛越村、大谷村、大木戸村、大原村、押釜村、信田沢村、高倉村、長野村、北長野村、馬場村、深野村
- 太田村 ← 上太田村、中太田村、下太田村、小木迫村、片倉村、牛来村、高村、鶴谷村、増田村、矢川原村
- 大甕村 ← 大甕村、江井村、下江井村、萱浜村、北原村、小浜村、雫村、堤谷村、米々沢村
- 金房村 ← 金谷村、川房村[大柿を除く大部分]、上根沢村、大田和村、大富村、小谷村、小屋木村、羽倉村、北鳩原村、南鳩原村、飯崎村
- 福浦村 ← 福岡村、上浦村、下浦村、浦尻村、泉沢村、蛯沢村、女場村、神山村、角部内村、行津村、水谷村、耳谷村、村上村
- 新舘村 ← 草野村、蘆股村、伊丹沢村、小宮村、関沢村、沼平村、深谷村、八木沢村(現・飯舘村)
- 大須村 ← 大倉村、佐須村(現・飯舘村)
- 飯曽村 ← 飯樋村、比曽村(現・飯舘村)
- 石橋村 ← 臼石村・二枚橋村・須萱村・関根村・前田村・松塚村(現・飯舘村)
- 川房村の一部[大柿]は標葉郡津島村の一部となる。
- 明治29年(1896年)4月1日 - 郡制のため、「宇多行方郡役所」の管轄区域を持って相馬郡が発足。同日行方郡廃止。
変遷表
自治体の変遷
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行政
- 宇多・行方郡長
脚注
参考文献
関連項目
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