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讃甘村

日本の岡山県英田郡にあった村 ウィキペディアから

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讃甘村(さのもそん)は、かつて岡山県北東部(美作地区)に存在していた英田郡(明治33年までは吉野郡)に属す。

概要 さのもそん 讃甘村, 廃止日 ...

1954年大原町大吉村大野村と合併し、新たに大原町となったため地方自治体として消滅した。

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概要

現在の美作市宮本・西町・今岡・下庄町・小原田および兵庫県佐用郡佐用町東中山に相当する。

往古は英多郡讃甘郷に属し、その後荘園化され讃甘荘と呼ばれた[1]。村名はこれにちなむ[2]

沿革

  • 明治5年8月17日1872年9月19日) - 宮本村・下庄村(元下荘村上部)・下庄村のうち西分(元下荘村下部)が合併して下庄村となる[1]
  • 1881年(明治14年)9月2日 - 西町村と東町村が合併して西町村となる。下庄村が宮本村と下庄村に分村する[1]
  • 1883年(明治16年)2月15日 - 連合戸長役場制度発足により、吉野郡第六部戸長役場を下庄村に設置し、同村および宮本村・中山村・小原田村・笹岡村(後の大野村)を管轄。西町村・今岡村は第四部戸長役場(辻堂村、後の大原村)の管轄となる[3]
  • 1889年(明治22年)6月1日 - 町村制施行。宮本村・西町村・今岡村・中山村・下庄村・小原田村が合併し、讃甘村発足。役場を宮本に設置[2]
  • 1896年(明治29年)4月1日 - 大字中山が兵庫県佐用郡江川村に編入[1]
  • 1899年(明治32年) - 大原村から西町を経て兵庫県に通じる県道が開通(現国道373号)。鎌坂峠(釜坂峠)を越える旧因幡街道に代わる幹線道路となる[2]
  • 1900年(明治33年)4月1日 - 吉野郡が英田郡と合併し、新たに英田郡となる(英田郡讃甘村)。
  • 1902年(明治35年) - 風化小学校を讃甘尋常小学校と改称[2]
  • 1912年大正元年)- 宮本武蔵生誕地碑の除幕式を宮本で挙行[4]
  • 1915年(大正4年) - 大吉村からの県道が開通(現県道5号)[2]
  • 1916年(大正5年) - 讃甘尋常小学校が高等科を併置し、讃甘尋常高等小学校として宮本に移転。役場を下庄の同小学校跡に移転[2][4]
  • 1920年(大正9年)2月16日 - 讃甘村役場が火災により、保管していた書類を焼失[5]
  • 1943年昭和18年) - 讃甘郵便局を下庄に開設[2]
  • 1954年(昭和29年)3月25日 - 大原町(初代)・大吉村・大野村と合併し、新たに大原町(2代)が発足したため消滅。下庄は大原町下庄町となる[6]
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当時の主要施設

交通

鉄道

道路

脚注

関連項目

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