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赤井喜代次
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赤井 喜代次(あかい きよじ、1944年1月8日 - )は、三重県伊勢市出身[1]の元プロ野球選手。
経歴
享栄商業高校では1961年、一塁手、控え投手として夏の甲子園愛知県予選決勝に進出。しかし山中巽、江藤省三らのいた中京商に敗れ、甲子園には届かなかった。卒業後は本田技研に入社。
1965年に国鉄スワローズに入団。同年は捕手として1試合に出場するが、1966年に外野手に転向。その後は主に代打、代走として起用される。1968年には開幕直後から一軍に定着し、主に右翼手として18試合に先発出場、うち11試合には一番打者として起用された。翌1969年もシーズン前半の11試合に先発、しかし打撃成績が上がらず同年限りで引退した。
詳細情報
年度別打撃成績
- サンケイ(サンケイアトムズ)は、1969年にアトムズに球団名を変更
背番号
- 41 (1965年 - 1967年)
- 37 (1968年 - 1969年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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