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近藤岳登
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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近藤 岳登(こんどう がくと、1981年2月10日 - )は、愛知県豊川市出身の元サッカー選手[1]。現役時代のポジションはサイドバック。
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来歴
高校時代は2年連続で国体メンバーに選ばれるものの、大阪体育大学は1ヵ月で中退。サーフィンやスノーボードに明け暮れる日々を過ごす。
しかし、「その生活には満足できず、自然に体がサッカーを求めた」と、2001年、愛知県リーグ所属の東海理化SCに入団し、サッカーを再開。2003年にはびわこ成蹊スポーツ大学に入学し、2年連続で関西学生選抜に選ばれる活躍を見せる。
その後、2007年にヴィッセル神戸に入団。26歳にして新人という異色の選手であり[2]、注目されていたが前十字靭帯損傷によりシーズンを棒に振った。2008年はサイドバックにも挑戦している。同年、8月9日のアウェイ・磐田戦で念願のリーグ戦デビューを果たした。2009年の夏場にサイドバックで出場機会を得ると、翌2010年7月25日の大宮戦でJ初得点を記録。
2011年は低調なパフォーマンスが続く時期もあったが、終盤には石櫃洋祐から右サイドバックのレギュラーを奪い、自己最多となる19試合に出場した。初めてJ開幕戦スタメンも飾った2012年はホーム開幕戦でゴールを決めたが、その後ルーキー奥井諒にポジションを奪われ出番が激減。シーズン後6シーズン在籍したクラブから戦力外通告を受けた。
2013年に水戸ホーリーホックに完全移籍。シーズン終了後、契約満了により1年で水戸を退団した[3]。
2014年、FC大阪へ移籍[4]。移籍後、半月板を損傷し、その過程で外傷性軟骨欠損症が発覚。多くの選手が引退していく膝の故障だが、近藤は「這いつくばっててもサッカーを続ける」と決意し、手術を選択[5]。一方で、同年9月19日、吉本興業とマネジメント契約を締結[6]。
2017年、約2年に渡る治療の末復帰を果たしたものの、最後まで出場機会は得られず[7]、同年11月28日にFC大阪を契約満了となった。一時期は現役続行を希望していたものの[8]、2018年1月31日に現役を引退をすることが発表された[2]。
引退後も引き続き吉本興業と契約しており、2018年によしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属するタレントで結成するアイドルグループ吉本坂46のオーディションを受ける[9] も最終審査で落ちてメンバー入りはならなかった。翌年はR-1ぐらんぷり2019にてJリーガーをネタにしたフリップ芸でエントリーし、準決勝に進出している[10]。また、かつてプレーした神戸を放送域とするKiss FM KOBEではラジオパーソナリティとして活動している。
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所属クラブ
- 1987年 - 1992年 豊川市立桜木小学校
- 1993年 - 1995年 豊川市立東部中学校
- 1996年 - 1998年 愛知産業大学三河高等学校
- 1999年 - 同年5月 大阪体育大学
- 2001年3月 - 2003年3月 東海理化SC
- 2003年4月 - 2006年 びわこ成蹊スポーツ大学
- 2007年 - 2012年 ヴィッセル神戸
- 2013年 水戸ホーリーホック
- 2014年 - 2017年 FC大阪
個人成績
脚注
関連項目
外部リンク
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