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邑美郡
日本の鳥取県(因幡国)にあった郡 ウィキペディアから
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郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、鳥取市の一部(江津・秋里および松並町の一部を除く千代川以東かつ浜坂、覚寺、円護寺、栗谷町、上町、中町、吉方町、吉方温泉、吉方、興南町、吉成、新、雲山、東大路、久末以西および南吉方の一部)にあたる。
歴史
要約
視点
古代
郡家は美和郷(一説に邑美郷)に置かれたとされ、因幡国の有力豪族である伊福部氏が代々郡司を務めた。また、延暦3年(784年)に成立したとされる『伊福部臣古志』によれば、同郡は因幡国最初の郡であった水依評が分割されて成立したものであるという。
郷
- 美和郷
- 古市郷
- 品治(ほんじ)郷
- 鳥取郷
- 邑美郷
式内社
中世から近世
古代から中世にかけて主だった郡域の変更は見られないが、江戸時代の正保年間以前には百谷村(ももだにむら)が法美郡に編入されたと見られる。
近世以降の沿革
- 越路村、古郡家村、久末村、美和村、中大路村、東大路村、雲山村、西大路村、橋本村、八坂村、小島村、国安村、向国安村、蔵田村、天王島村、●馬場村、大覚寺村、的場村、●数津村、叶村、宮長村、吉方村、富安村、●吉成村、新村、古市村、行徳村、田島村、湯所村、浜坂村、●覚寺村、円護寺村、鳥取町、小西谷村、品治村
- 明治初年 - 国安村の枝郷が分立して源太村となる。(1町35村)
- 明治4年7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により鳥取県の管轄となる。
- 明治5年(1872年)3月 - 向国安村・源太村の所属郡が高草郡に、小西谷村の所属郡が法美郡にそれぞれ変更[1]。(1町32村)
- 明治9年(1876年)8月21日 - 第2次府県統合により島根県の管轄となる。
- 明治10年(1877年)
- 明治11年(1878年)10月2日 - 小島村が馬場村に合併[1]。(1町31村)
- 明治12年(1879年)1月12日 - 郡区町村編制法の島根県での施行により行政区画としての邑美郡が発足。「邑美法美岩井郡役所」が鳥取町に設置され、法美郡・岩井郡とともに管轄。
- 明治13年(1880年)11月12日 - 八上郡円通寺村の所属郡が本郡に変更[1]。(1町32村)
- 明治14年(1881年)9月12日 - 鳥取県の管轄となる。

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行政
- 郡役所
- 島根県邑美・法美・岩井郡長
- 鳥取県邑美・法美・岩井郡長
脚注
参考文献
関連項目
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