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鈴木俊継

日本のテレビ演出家 ウィキペディアから

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鈴木 俊継(すずき としつぐ[1]1934年1月8日[2][3] - 没年不明)は、日本テレビ演出家。演出家となる前は鈴木 孝次(すずき こうじ)名義で俳優として活動していた[4][5][6][7]。妻は円谷プロダクションのスタッフだった宍倉徳子[8][9]関東学院大学中退[2]

来歴

1952年に東京映画製作の劇場映画『春の囁き』で俳優としてデビュー[7][10][11]。その後、東宝に移籍するが役に恵まれず、映画監督の岩城英二に誘われてテレビドラマの助監督に転身した[6][7][11]

TBSのテレビドラマ『いまに見ておれ』(1964年)で共にADを勤めていた満田かずほに誘われ、円谷特技プロダクション作品に参加[12][7][11]。『ウルトラQ』『ウルトラマン』での助監督を経て、『ウルトラマン』第32話「果てしなき逆襲」と第33話「禁じられた言葉」で監督としてデビューした[6][13][11]。続く『ウルトラセブン』では円谷英二に推薦され、満田と共に製作の中心的存在となった[12]。以後も特撮テレビドラマを中心に活動し、コマーシャルや企業パンフレットの製作なども行っていたという[7]

恐竜探険隊ボーンフリー』(1976年)以後の映像関係での活動は確認されていない[7]。すでに故人とされるが、晩年は映画関係者とは疎遠になっていたため、死去の時期や経緯は不明である[7][注釈 1]

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人物・作風

  • 温厚な人物であったとされ、俳優の山村哲夫がスタッフと対立して辞めようとした際には、直接電話をかけて説得にあたったという[7]。東宝の俳優であった中島春雄も、親しい付き合いではなかったが、穏やかな人柄であったと証言している[5]
  • 監督としては堅実な作風で[4]、脚本に口を挟むようなこともなかったとされる[14]。しかし、『ウルトラセブン』第26話「超兵器R1号」では、ラストシーンをカットしろというプロデューサーに激しく抗議する一面もあったという[7]
  • ミラーマン』(1971年)主演の石田信之は、鈴木について「優しくて、みんなに気を使っていた」と述べている[15]

監督作品

出演作品

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脚注

参考文献

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