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鍋島直愈
肥前小城藩7代藩主。従五位下、加賀守。鍋島直員の次男 ウィキペディアから
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鍋島 直愈(なべしま なおます)は、肥前小城藩の第7代藩主。加賀守、大名当主名「鍋島加賀守直愈」。
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生涯
宝暦6年(1756年)3月15日、第6代藩主・鍋島直員の次男として小城で生まれる。宝暦14年(1764年)5月に父が隠居したため、家督を継いだ。明和7年12月(1772年)、従五位下・加賀守に叙位・任官する。
この頃になると小城藩では財政悪化が問題化していたが、それを示す逸話がある。安永3年(1774年)2月、幕府は有栖川宮織仁親王の江戸下向に対して、直愈を御馳走役(現代でいう接待役)に任じた。親王を迎えるとなると経費は莫大になるが、直愈はその必要経費である9500両のうち2000両ほどしか調達できなかった。このため、幕府に対して7000両の拝借金を嘆願したが、幕府はこれに激怒し、接待が終わった後に「不届き」であるとして直愈、そして本家の佐賀藩主・鍋島治茂を2か月間の差控(登城停止)にした。
寛政元年(1789年)10月、後の藩校・興譲館の前身である文武稽古館を創設する。寛政6年(1794年)4月、家督を長男の直知に譲って隠居する。
享和元年(1801年)7月2日に小城で死去した。享年46。
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系譜
父母
正室
- 数子 ー 鍋島重茂の娘
側室
- タミ、本性院 ー 秀島記稔の娘
- 三笠、良峰院 ー 松崎利如の娘
子女
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