トップQs
タイムライン
チャット
視点
鍛冶町 (横手市)
秋田県横手市の町名 ウィキペディアから
Remove ads
鍛冶町(かじまち)は、秋田県横手市の町丁。郵便番号は013-0031[3]。人口は165人、世帯数は76世帯(2020年10月1日現在)[1]。丁目の設定のない単独町名で、全域で住居表示を実施している[4]。旧横手市栄通町の一部、鍛冶町に相当する[2]。
地理
横手地域の中央部に位置し[5]、東で大町・清川町、西で田中町・前郷一番町、南で平和町、北で四日町と隣接する。沿線には商店などが立ち並び、江戸時代以降から市内を代表する商業地であった大町・四日町[5]の南側[6]に位置する。横手鍛冶町郵便局が置かれている[5]。
全域が都市計画区域に含まれるが、区域区分非設定区域となっている[7]。都市計画法上の用途地域では全域が商業地域に指定されている[8]。
歴史
横手川右岸の朝倉山(通称・お城山)に位置した横手城[9]の城下町として栄えた地域で、現在も横手市の中心市街地の一角を成している[10]。現在の鍛冶町は横手川の左岸、商人や職人が住む「外町」に当たる地域で[11]、江戸時代頃から城下町として形成されていった[12]。当時の横手城下の外町において最南端に位置する町で[11][13]、横手鍛冶町や五日町とも呼ばれた[11][13]。
羽州街道が南方の横手前郷村から田町を経由して[14]この町を縦貫し、北の二日町に至る[13]。二日町は、鍛冶町と大町・四日町に挟まれた場所にあり、1881年(明治14年)の「郡区町村一覧」においては栄通町(さかえとおりまち)[13]、現代の住居表示においては横手市鍛冶町・四日町の一部となっている[6]。羽州街道は二日町に入った後、大町と四日町の二筋に分かれる[6]。現在田中町にある蛭子神社は、天正2年(1574年)にこの二日町の地で建立されたもので、天正19年に類焼により西の田中町へと移転し、再建されたと伝えられている[6]。
鍛冶町と田町の境界(現在の金比羅神社境内[11])には阿弥陀堂があり、そこに羽州街道の一里塚が置かれた[14]。これは幕府からの指示で秋田藩が整備したもので、久保田城の大手門の柱が基点になっている[14]。
町名の変遷
住居表示に関する法律が施行された1962年5月10日以降、旧横手市内においても住居表示が進み、1965年より第一次から第五次にかけて実施された[15]。本地域は第二次地区として1966年4月1日に実施され、現行の鍛冶町はここで誕生した[16]。
Remove ads
世帯数と人口
2020年(令和2年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口・世帯数の推移
以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の人口の推移。
以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の世帯数の推移。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[22]。
交通
鉄道
バス
道路
- けやき大通り
施設
- 北日本銀行 横手支店
- 旧よねや鍛冶町店
脚注
参考文献
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads