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鎌田光也
日本の騎手 ウィキペディアから
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鎌田 光也(かまた みつや、1952年3月3日 - )は、熊本県出身の元騎手・元調教助手。
経歴
要約
視点
1970年代
1972年3月に栗東・松田由太郎厩舎からデビューし、同4日の阪神第3競走4歳200万下・グレートメールで初騎乗初勝利を達成[1]。1970年3月1日の宮田仁・鎌田祐一(東京)、吉永良人(京都)以来2年ぶりの達成で、当日の中山では石塚信広・加藤晴己が達成した[2]。
1年目の1972年は2勝[3]に終わったが、2年目の1973年には10月20日の京都第9競走4歳以上オープンではロングワンでホウシュウエイトにアタマ差勝利[4]するなど初の2桁となる10勝[3]をマーク。
3年目の1974年には7月6日の中京で初の1日3勝[5]を挙げ、11月9日の京都第12競走4歳以上オープンではロングワンでタニノチカラの2着[6]に入り、2年連続2桁勝利の10勝[3]をマーク。
1976年にはマサフミオーでアラブ大賞典(春)2着[7]に入り、2年ぶりの2桁となる11勝[3]をマーク。
1977年には3月26日・27日の小倉で初の2日連続勝利[8]を挙げ、12月24日の阪神第4競走4歳以上300万下では14頭中11番人気のニッソウビートで13番人気のスコールダンサーを1/2差抑えて勝利し、枠連53430円の大波乱を演出[9]するなど、2年連続2桁で自己最多の12勝[3]をマーク。
1979年にはニッソウプロスで阪神障害ステークス(春)を制し自身唯一の重賞勝利[10]を挙げ、京都大障害(春)では2着[11]に入った。
1980年代
1981年には9月5日の阪神で初の1日2勝[12]を挙げ、11月8日の京都第6競走もみじ賞ではロングドーターでヤマノシラギクの3着[13]に入った。
1982年には9月11日の阪神第4競走3歳新馬でロングリーダーをニホンピロウイナーの3着[14]に導き、11月7日の福島では1日3勝[15]を挙げるなど、5年ぶりで最後の2桁勝利となる10勝[3]をマーク。
1983年には春の小倉でヤマノシラギクに2戦騎乗し[16]、11月26日の中京第4競走3歳新馬ではハンテンジャガーでトウカイローマンに8馬身差付けて勝利[17]。
1984年にはフリーとなり、ロングキティーでグレード制導入後最初のGIとなった桜花賞に騎乗し、22頭中16番人気ながらダイアナソロンの3着[18]と健闘。6月17日の中京第4競走4歳未勝利では15頭中15番人気のロングレイクで勝利し、単勝・枠連万馬券の波乱を演出[19]。
1985年からは松田博資厩舎に所属し、同年12月14日の阪神第1競走3歳未勝利・ブイナインが最後の勝利となり、1986年2月23日の阪神第12競走4歳以上900万下・ロングリュウ(14頭中5着)を最後に現役を引退[20]。
引退後
引退後は松田博資厩舎の調教助手となり、その後は田島良保厩舎、新川恵厩舎、浜田多実雄厩舎に所属し、2013年6月まで務めた[21]。
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騎手成績
- 主な騎乗馬
- ニッソウプロス(1979年阪神障害ステークス (春))
脚注
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