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ダイアナソロン
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ダイアナソロン(欧字名:Diana Tholon、1981年3月18日 - 1994年9月20日)は、日本の競走馬、繁殖牝馬[1]。
![]() | この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
1984年の桜花賞(GI)、サファイヤステークス(GIII)を優勝し、同年のJRA賞最優秀4歳牝馬に選出された。
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戦績
3歳時
前年度の関西リーディングジョッキーである田原成貴を背にデビュー。デビュー戦は阪神の芝1200メートルで後続に2馬身差をつけ快勝し、デビュー戦を飾った。
続く500万条件戦も勝ち連勝したが、田原が有馬記念騎乗のため乗り替わった年末の条件戦は8着と大敗を喫し、3歳シーズンを3戦2勝で終えた。
4歳時
4歳初戦に選択したエルフィンステークスでは、初の重馬場にもかかわらず鋭く伸びて3勝目。重賞初挑戦となった阪神4歳牝馬特別。2番人気に支持されたものの15頭立てという多頭数で道中は窮屈な競馬となってしまい、僅差ながらも6着。本番に向けて不安の残る結果となった。
迎えた、グレード制導入後最初のGI桜花賞では、序盤からハイペースの中でじっくりと中団に待機し、直線ではインから鋭く抜け出し最後まで脚色が衰えることなく最後は2着に5馬身差をつけて圧勝。日本で最初のGI馬となった。
桜花賞の圧勝により大本命で迎えた優駿牝馬。やや出遅れた影響もあったか後方からの競馬となり、直線で一度は先頭に立ったものの桜花賞ほどの伸びは見られずトウカイローマンに交わされ2着に終わった。
休養をはさんで迎えた秋初戦のサファイヤステークス。春のクラシックホース2頭が出走するという事もあり7頭立てという少頭数でのレースになった。春の実績から、賞金に負担斤量差はありながらも1番人気に推され着差以上の強い競馬を見せ快勝。続くローズステークスも1番人気に推されたものの、春に破った馬たちに先着を許し、3着に終わった。
そして、エリザベス女王杯。前走で敗れたものの、実績と安定感から堂々の1番人気に推された。レースでは後方からよく伸びたものの、それ以上に鋭く伸びたキョウワサンダーとキクノペガサスに屈し3着。次走に選んだジャパンカップは、ミスターシービーとシンボリルドルフという2頭の三冠馬が出走し、宝塚記念を制したカツラギエースとあわせ日本馬は4頭ながら少数精鋭であった。結果はカツラギエースが逃げ切りで勝利するなかで約3秒差のシンガリ負けに終わった。
なお、クラシック戦線で1,2,3着と1年通して安定した実績をあげたこともあり、最優秀4歳牝馬に選ばれた。
古馬時
マイル戦線に活路を見出し、年明け初戦のマイラーズカップではニホンピロウイナーの3着。続くコーラルステークスでは1番人気に推されるもののシャダイソフィアの3着に終わる。その後、脚部不安を発症し、現役を引退した。
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競走成績
要約
視点
以下の内容は、netkeiba.com[2]に基づく。
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引退後
引退後は大塚牧場で繁殖入り。代表産駒としては、岡部幸雄がビワハヤヒデを断り選択したクエストフォベスト(父トウショウボーイ)などがいる。その後、1994年9月20日に死亡した[3]。13歳没。
繁殖成績
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血統表
ダイアナソロンの血統(パーソロン系 / Avena・プリメロ4×5=9.38%、Tourbillon5×5=6.25% (父内) ) | (血統表の出典) | |||
父 *パーソロン Partholon 1960 鹿毛 |
父の父 Milesian1953 鹿毛 |
My Babu | Djebel | |
Perfume | ||||
Oatflake | Coup de Lyon | |||
Avena | ||||
父の母 Paleo1953 鹿毛 |
Pharis | Pharos | ||
Carissima | ||||
Calonice | Abjer | |||
Coronis | ||||
母 ベゴニヤ 1972 鹿毛 |
ヒカルタカイ 1964 鹿毛 |
*リンボー Limbo |
War Admiral | |
Boojie | ||||
ホマレタカイ | ハクリヨウ | |||
シマノオー | ||||
母の母 オカクモ1965 鹿毛 |
*ライジングフレーム Rising Flame |
The Phoenix | ||
Admirable | ||||
丘高 | *セフト | |||
月丘 F-No.3 |
母の父ヒカルタカイは南関東公営の初代三冠馬にして、中央移籍後も天皇賞(春)・宝塚記念を制した名馬だが、種牡馬としては全くの失敗に終わり、現在は本馬の母ベゴニヤの子孫のみがその血を伝えている。祖母オカクモは1966年の桜花賞馬ワカクモの半妹。
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脚注
外部リンク
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