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長南恒夫
プロ野球選手 ウィキペディアから
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長南 恒夫(ちょうなん つねお、1939年10月8日 - 1996年5月2日[1])は、千葉県[1]出身のプロ野球選手。
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経歴
安房水産高校ではエースとして1957年夏の甲子園県予選準々決勝に進出するが、佐原一高の城之内邦雄に抑えられ敗退。卒業後は社会人野球の永幸工場に進む。1961年の都市対抗に日本通運の補強選手として出場[2]。
1962年に東映フライヤーズへ入団[1]。投手としては伸び悩み、一軍では1試合登板にとどまる。1964年に外野手に転向し一軍に定着。翌年はラーカーの控えではあるが、一塁手として起用され27試合に先発出場。しかし翌年から大杉勝男が台頭、その後は主として代打として起用されるが、段々と出場機会が減り1969年限りで引退。引退後は東映興業のサラリーマンとなる。
詳細情報
年度別打撃成績
年度別投手成績
背番号
- 43 (1962年 - 1969年)
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脚注
関連項目
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