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長崎市立銭座小学校
長崎県長崎市にある小学校 ウィキペディアから
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長崎市立銭座小学校(ながさきしりつ ぜんざしょうがっこう、Nagasaki City Zenza Elementary School)は、長崎県長崎市銭座町にある公立小学校。
概要
沿革
- 1902年(明治35年)
- 1月31日 - 「銭座尋常小学校」が開校。
- 3月 - 高等科を併置し、「銭座尋常高等小学校」と改称。
- 1906年(明治39年)5月 - 銭座夜学校を併設。
- 1925年(大正14年)3月24日 - 増築校舎(鉄筋コンクリート造3階建て)が完成。
- 1926年(大正15年)7月1日 - 青年訓練所を併設。
- 1930年(昭和5年)3月 - 銭座実業補習学校を廃止。
- 1935年(昭和10年)4月1日 - 青年学校令公布に伴い、銭座青年学校を併設。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令に伴い、「銭座国民学校」と改称。
- 1944年(昭和19年)3月31日 - 併設されていた銭座青年学校が統廃合のため、廃止。
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年)
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)に伴い、「長崎市立銭座小学校」(現在名)と改称。校舎完成が間に合わず、長崎市立稲佐小学校で授業を行う。
- 1948年(昭和23年)
- 1958年(昭和33年)- 児童数の増加に伴い、2部授業を実施。その後小学校新設などが行われ、次第に2部授業は解消されていく。
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原子爆弾の被害
- 爆心地(北緯32度46分24.8秒 東経129度51分47.1秒)から約1.5離れていた当時の銭座国民学校は、まず原子爆弾の投下直後に吹き上がった爆風で木造校舎が全壊し、その後延焼した火事により全焼した。投下当日、児童は登校しておらず、学校には校長のみがいた。他の教職員は長崎医科大学(現長崎大学医学部)のグランド近くにあった畑と、西郷(現 西町)にあった学校の畑で作業を行っていた。長崎市教育委員会の調べによると、畑で農作業を行っていた教職員はすべて死亡し、原子爆弾投下前の児童在籍数850名のうち約500名が学校外で亡くなったと推定されている。
交流
著名な出身者
アクセス
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周辺
- 聖徳寺・聖徳保育園
- 宝町公園
- 三菱重工幸町工場
- 長崎ブリックホール
- みらい長崎ココウォーク
- ベストウェスタンプレミアホテル長崎(旧プリンスホテル長崎)
- 長崎市立西坂小学校
脚注
参考文献
関連事項
外部リンク
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