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長谷部栄一
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長谷部 栄一(はせべ えいいち、1928年5月17日 - 2017年8月23日[1])は大阪府出身のプロ野球選手、高校野球・社会人野球監督。
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来歴・人物
旧制東山中学(現:東山高校)から、同志社大学に進学するも中退し、1950年に大阪タイガースに入団。三拍子そろった捕手として期待されたが、同年に故障し翌年には引退した。その後、社会人野球チーム日本新薬に監督兼選手として入団し、都市対抗野球大会に1957年の大会から1959年の大会まで3年連続で出場した。1961年からは監督に専念し、都市対抗野球に5回出場している。1988年からは、母校東山高校の野球部の監督を務め、1992年・1993年の春の甲子園に出場した。その後、佛教大学硬式野球部の総監督を務めた。2017年8月23日に膵臓癌のため死去[1]。89歳没[1]。
日本新薬監督時代に輩出したプロ野球選手に、梅田邦三(元巨人、西鉄、中日)、東山高校監督時代の教え子に、岡島秀樹(元福岡ソフトバンクホークス)・川中基嗣(元巨人)がいる。
詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 14 (1950年 - 1951年)
脚注
関連項目
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