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青山宗俊
日本の侍 (1604-1679) ウィキペディアから
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青山 宗俊(あおやま むねとし)は、江戸時代前期の旗本、大名。信濃国小諸藩主、大坂城代、遠江国浜松藩初代藩主。官位は従四位下・因幡守。青山家宗家11代。
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生涯
慶長9年(1604年)、徳川家譜代の重臣・青山忠俊[2]の長男として誕生した。元和7年(1621年)、従五位下・因幡守に叙位・任官する。元和9年(1623年)に父が3代将軍・徳川家光の勘気を受けて蟄居になった際、父と共に相模国高座郡溝郷に蟄居した。
寛永11年(1634年)、家光から許されて再出仕する。寛永15年(1638年)12月1日に書院番頭に任じられ、武蔵・相模国内で3,000石を与えられて旗本となる。寛永21年(1644年)5月23日に大番頭に任じられる。正保5年(1648年)閏1月19日、信濃小諸において2万7,000石を加増され、合計3万石の大名となり、信濃小諸藩主となる[1]。また本領とは別に信濃国内に幕府領1万5,000石を預かる。小諸藩では御影用水・新田の開削という大規模な工事に着手し、民衆も苦しんだが田地は増大して増産効果をもたらした[3]。
寛文2年(1662年)3月29日、大坂城代に任じられたため、所領を2万石加増されて合計5万石の大名となった上で、所領を摂津国・河内国・和泉国・遠江・相模・武蔵などに移され、移封となる。寛文9年(1669年)12月26日、従四位下に昇叙する。延宝6年(1678年)に大坂城代を辞職し、8月18日に遠江浜松に移封となる。
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系譜
脚注
出典
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