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高木貞俊
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高木 貞俊(たかぎ さだとし)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・旗本。美濃衆北高木家初代。
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生涯
永禄6年(1563年)、高木貞家(高木貞久の子)の子として誕生した。
永禄11年(1568年)、父・貞家が戦死したため、祖父・貞久の養子となる。
天正6年(1578年)、織田信忠に従って播磨国神吉城攻めに従軍する。
天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いでは一族と共に織田信雄に従い、蟹江城合戦に関わり、その戦功により美濃国安田城主となった。
天正18年(1590年)、小田原征伐では土方雄久隊に属して活躍したが、同年に信雄が改易となったため、一族と共に加藤光泰を頼って甲斐国で閉居した。
慶長2年(1597年)、徳川家康に仕官し、上総国望陀郡・武蔵国荏原郡・相模国鎌倉郡に所領を与えられた。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いでは東軍先鋒の案内役となり、その功により加増転封されて美濃石津郡に1000石を領した。
慶長19年(1614年)、大坂冬の陣に従軍。その後は一族と共に駿府城・二条城普請の奉行、徳川秀忠上洛時の舟割奉行を歴任した。
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出典
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