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高野和馬

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高野和馬
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高野 和馬(たかの かずま、1984年9月20日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 美浦トレーニングセンター所属の調教助手、元騎手

概要 高野和馬, 基本情報 ...

新聞などの表記は同姓の高野容輔(こうの ようすけ)騎手がいたため「高野和」となっていたが、2011年より高野容輔の現役引退にともない「高野」表記となっている。

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略歴

父と兄が厩務員という競馬ファミリーで育つ[3]

2004年3月に美浦の小檜山悟厩舎所属騎手としてデビュー。競馬学校20期生で同期に藤岡佑介川田将雅吉田隼人津村明秀らがいる。

JRAデビューに先立ち3月2日高崎競馬第7競走の地方交流競走で4番人気コウテイノユメに騎乗し、中舘英二江田照男内田利雄ら中央・地方のトップジョッキーも参戦した中で初騎乗初勝利を果たす。なおこの競走には減量の特典はなく通常の斤量での騎乗だった。同馬は高野が所属する小檜山厩舎の管理馬であり、競馬場には小檜山自身も臨場、高野の騎乗にあたり「どうせ指示してもその通りに乗れるわけはないんで、特に位置取りなどは指示せず「みんなと一緒にしっかり乗ってこい」とだけ言って送り出しました。」とコメントを残している[4]

JRA初勝利はそれから1ヶ月半後の4月18日福島5R未勝利戦で9番人気ノーザンスターで挙げている(JRA通算34戦目)。

地方競馬で幸先のよいスタートを切った高野であるが、減量騎手としての3年間の平地勝利はわずか3勝と苦戦。3年目の2006年8月20日の新潟1R未勝利戦(芝直線1000m)では、のちの重賞馬アルコセニョーラに斤量51kgで騎乗し単勝1.6倍の1番人気に推されたが3着に敗れている[5]

減量が取れる2006年春からはそれまで所属していた小檜山厩舎を離れフリーの騎手へと転向。また同時に乗り鞍を増やすべく障害競走への騎乗を開始し同年12月に障害初勝利を記録。以後、障害競走中心の騎乗となっている。

2012年にはミラクルオブレナで障害オープン初勝利を挙げるなど自己最多の年間5勝を挙げた。同年4月7日には小檜山厩舎所属のセイエイで障害未勝利戦を勝ち、翌週に連闘で中山グランドジャンプに出走しJGI初騎乗を果たした(7着)。セイエイとはその後も20戦以上にわたってコンビを組み、2013年の春麗ジャンプステークスで12番人気で1着、2014年の東京ジャンプステークスで13番人気で3着に入っている。

デビューから毎年最低1勝は挙げていたが、2017年は2着2回が最高で初めて未勝利に終わった。

2020年5月23日、東京3R(3歳未勝利ダート2100m)で11番人気セイウンソルジャーに騎乗し3着に入った。平地で馬券圏内となったのは、2008年2月17日のシルキーチーフ(13番人気3着)以来12年ぶりだった。

2024年2月28日、翌2月29日付で騎手を引退し、栗田徹厩舎で調教助手となることがJRAから発表された[6]

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エピソード

  • デビュー当時、「目標は武豊騎手。世界でも通用するようなジョッキーになりたい」と語っていた[7]
  • 2005年には当時小檜山厩舎に所属していたホリエモン堀江貴文の所有馬)に騎乗している。中山での4戦目(10着)[8]、大井(地方交流)での5戦目(8着)[9]、船橋での6戦目(6着)[10]で騎乗し、6戦目のレース後には「3コーナーで行かなかったからダメかなと思いました。でも最後に伸びてきたので意外としぶとい馬だなと思いました」と語っている。
  • 2008年にセントライト記念を勝った北村宏司が中心となって作ったバドミントン部「セントライツ」のメンバーで、他のメンバーに大庭和弥草野太郎大江原圭などがいる。一番うまいのは卓球経験者の高野だという[11][12]
  • 2010年に結婚した[13]

騎乗成績

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脚注

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