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鬼塚忠久
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鬼塚 忠久(おにづか ただひさ、1955年7月3日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはフォワード。滋賀県甲賀郡甲西町(現・湖南市)出身。
略歴
滋賀県立甲賀高校時代、高校選手権、インターハイ、国体に出場。卒業後の1974年に日本サッカーリーグ1部の古河電気工業サッカー部(現 ジェフユナイテッド市原・千葉)へ入部し、1年目からレギュラーの座を獲得。以後、ウインガーとして古河の黄金時代を支え、1982年シーズンにはアシスト王にも輝いた。サイドからのドリブル突破を持ち味とし、得点能力も高かった。
引退後は、芸能人で結成されたサッカーチーム、ザ・ミイラにも所属していた。また、解説者やサッカースクールのコーチなどを経て、2004年に古河時代のチームメイトだった前田秀樹が監督を務める水戸ホーリーホックの強化部長兼取締役に就任。2008年4月まで務めた。
2024年現在、前田が監督を務める東京国際大学体育会サッカー部のスカウティングを務めている[1]。
所属クラブ
個人成績
出典
参考文献
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