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鳥原公二
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鳥原 公二(とりはら こうじ、1954年8月29日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
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来歴・人物
宮崎商業高から、社会人野球の東洋紡岩国に進んだが入社4年目に野球部が解散となったため、日立製作所に移籍。
1977年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズから5位指名を受け入団。
1978年は敗戦処理で3試合に登板。プロ初めてのアウトは王貞治からだった。
1980年、10月23日の大洋戦で先発登板の予定だったが、その前日10月22日の広島戦(広島)の9回裏、3-3の同点の場面で急遽登板して2イニングを無失点に抑えると、10回表に味方が勝ち越してプロ初勝利をあげた。
1982年は中継ぎで好投し、自己最多の21試合に登板。一時は抑えを任され、3セーブを記録している。
1986年限りで現役を引退。現役最後の試合となった1986年5月10日の阪神戦(長崎)でプロ初安打と初盗塁を記録している。
引退後は、ヤクルトに残りスカウトなどを経て、スカウトグループチーフをしていた[1]。
2020年に初めてとなる著書を出版し、反響を呼んだ[3][4]。
サイドスローで両コーナーを巧みに投げ分ける技巧派タイプで、ストレート、カーブ、シュート、スライダー、シンカーを武器とした。
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詳細情報
年度別投手成績
記録
- 投手記録
- 初登板:1978年6月8日、対読売ジャイアンツ11回戦(明治神宮野球場)、9回表に3番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:1978年7月4日、対横浜大洋ホエールズ11回戦(横浜スタジアム)、8回裏に平松政次から
- 初勝利:1980年10月22日、対広島東洋カープ26回戦(広島市民球場)、9回裏に4番手で救援登板・完了、2回無失点
- 初セーブ:1982年8月10日、対読売ジャイアンツ17回戦(後楽園球場)、8回裏に4番手で救援登板・完了、2回無失点
- 初先発:1982年10月6日、対中日ドラゴンズ15回戦(ナゴヤ球場)、3回2/3を3失点(自責点2)で敗戦投手
- 打撃記録
背番号
- 33 (1978年 - 1986年)
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著書
- プロ野球スカウトの裏話(2020年8月25日発行、編集:産経新聞社夕刊フジ、舵社、発行:舵社)
脚注
関連項目
外部リンク
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