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志摩芸術村

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志摩芸術村(しまげいじゅつむら)は、三重県鳥羽市浦村町で計画されていた開発構想である。セゾングループ西洋環境開発子会社である志摩東京カウンティが主体となって事業が進め、計画面積73.6haにわたる広大な敷地に、ビーチゾーン・タラソテラピーゾーン・芸術村の3つの区域を設定し[1]、滞在型のリゾートを整備する構想であった。芸術村の開発用地は、三重県外郭団体である財団法人三重県志摩開発公社がパールロード沿線開発のために先行取得していた土地である[2]。しかし、平成不況により事実上計画が放棄されている。

概要 志摩芸術村, 開始年 ...

歴史

要約
視点

志摩東京カウンティを設立

パールロード沿線の観光開発に対する民間企業の事業参加募集に基づき、1972年(昭和47年)5月に「志摩東京カウンティ」が設立され[3][2]、本社は東京都豊島区東池袋三丁目のサンシャイン60に置いた[3]。当初の資本金は1億円、株主構成は西武百貨店西武都市開発に主要な東京財界、および地元の三重県志摩開発公社、鳥羽市開発公社からなる第3セクターであった[3]。また堤清二を代表取締役社長とし、東京財界主要メンバーからなる役員構成となっていた[3]。設立当時の営業目的は、三重県開発公社を介して取得した事業用地約100haにおける、ホテル・別荘地・各種レジャー施設を備えた複合リゾート施設運営事業を主とし、1975年(昭和50年)度のオープン予定を目標とした準備作業をしていたが、オイルショックによる全国的な景気低迷と重なったために、事業実施を一時保留せざるを得なくなった[3]

体制・計画の見直し

その後、事業の実施機会を模索する間に、株主および役員体制の見直しが図られ、西武百貨店、西武都市開発および三重県開発公社、鳥羽市開発公社を主体とする新体制となった[3]1983年(昭和58年)7月には、レジャーブームが高まるとともに、地元の要請を受けて、鳥羽白浜海水浴場を開設した[3][4]

1987年(昭和62年)に入ると、事業計画を再開する機運が高まり、西武百貨店、西武都市開発が中心となった準備室が発足[5]、これにより、セゾングループの特性を生かした付加価値の高いリゾートの創出を目的として、文化芸術性の高いアートをテーマとした「リゾート工房」、および海と健康をテーマにした「タラソテラピー」を軸にした、現代にマッチした新たな計画内容により事業推進することになった[5]。この間には総合保養地域整備法(リゾート法)制定に伴い、1988年(昭和63年)7月9日には三重県の総合的なリゾート開発計画「三重サンベルトゾーン構想」が国から承認を受け[6]、志摩芸術村構想はその中の「鳥羽地区」(海の情報と創作活動ゾーン)に位置付けられた[7]

1989年(平成元年)9月には芸術村ゾーンの土地造成がほぼ終了、日本の国内外から芸術家が視察に訪れ[2]1992年(平成4年)8月、タラソテラピーゾーンの中核施設であるタラサ志摩が開業[8]、女性誌上で取り上げられた[4]。「タラサ志摩」は堤清二肝いりの事業であり、約250億円を投入した開発であった[9]

経営破綻と買収

バブル崩壊の影響を受け、志摩東京カウンティは集客・居住施設の建設を中断し、多額の負債返済と運転資金の援助を親会社の西洋環境開発に頼ることとなる[8]。だが、頼みの綱である西洋環境開発は2000年(平成12年)7月に特別清算を申し立て、資金供給の無くなった志摩東京カウンティは、翌2001年(平成13年)1月に民事再生法の適用を申請した[10]。これにより事実上、志摩芸術村の開発は停止した。負債総額は191億6千万円[10][11]。最後の社長は松尾俊之であった[11]

同年8月1日に美術品販売を手掛けるアールビバンが買収を発表、タラサ志摩スパアンドリゾート株式会社に社名を改め、本社を東京都新宿区西新宿一丁目25番1号に移転し、アールビバン社長の野澤克巳が取締役会長に就任した[8]。買収のコーディネートはホテル再建プロデュース事業に新規参入を果たした京都総合研究所が行った[9]。志摩東京カウンティの買収には、アメリカリップルウッドマリオットのグループや、香港のCCLグループも名乗りを挙げていた[9]

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計画と実際

要約
視点

ビーチゾーン

計画立案時点で既に開業していた鳥羽白浜海水浴場に、ビーチハウスと遊歩道を整備するものであった[4]

鳥羽白浜海水浴場

三重県鳥羽市浦村町白浜にある海水浴場。志摩東京カウンティは建設のみを担当し、運営は西武都市開発があたった[5]。遠浅の海と白い砂浜が特徴で、入場料は無料(ビーチパラソルの持ち込みは有料)[12]。毎年7月1日から9月中旬まで開設される[12]2010年(平成22年)の水質調査では「AA」(最高)と判定された[13]

交通

タラソテラピーゾーン

本格的なタラソテラピーが受けられる日本初の施設としてタラサ志摩を新設するというもの。1992年(平成4年)8月に開業し、計画は実現している。

開業当初、タラサ志摩は志摩東京カウンティが経営していたが、2001年(平成13年)にアールビバンが同社を買収[8]、すぐに全日空ホテルズに経営を委託、「タラサ志摩全日空ホテル&リゾート」として運営していたが、2003年(平成15年)6月30日に契約を解消、翌日からアールビバンが直接経営に乗り出した[14]。しかし経営は好転せず、2009年(平成21年)12月1日から星野リゾートに運営が委託され、子会社・志摩ホテルマネージメントの運営にあたった[15]。だが、2011年(平成23年)には星野リゾートも撤退し、その後も運営事業者は変遷。結局、アールビバン(TSCホリスティック)は、2018年(平成30年)に土地・建物を大江戸温泉物語に売却[16]。施設は、翌年4月に温泉リゾート「TAOYA志摩」としてリニューアルオープンしている[17]

芸術村

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海の博物館

日本と日本国外の芸術家が交流、滞在しながら創作活動を行えるような空間を整備するものであった[4]。芸術家育成を行うアートホール、セミナー室などを備えたカウンセルハウス、ギャラリー、ゲストハウス、造形工房、ロッジを建設する予定であったが[4]、ほとんど実現していない。実際に建設されたのは、鳥羽市鳥羽一丁目から新築移転した海の博物館と美術館の「志摩ミュージアム」のみである。

海の博物館

海の博物館は、1971年(昭和46年)に鳥羽市街地に開館したが、1992年(平成4年)に志摩芸術村の敷地内に移転した[18]

志摩ミュージアム

かつて志摩芸術村にあった美術館。海の博物館同様、内藤廣が設計を手がけ、1993年(平成5年)に竣工した[19]。地元の芸術家の作品を中心に展示し[20]、絵画や彫刻の展示のみならず、ミニコンサートを開くなど年中無休で開館していたが[21]、後に閉館した。

その後、俳優の岩城滉一が買い取り、自身の所有するバイクを展示する「モーターサイクルパビリオン コウイチ・イワキ」として、2003年(平成15年)3月21日にリニューアルオープンを図るが[22]、これも長くは続かず閉館に至っている。

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脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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