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齊藤信介

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齊藤信介
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齊藤 信介(さいとう しんすけ、1982年2月12日 - )は、香川県高松市出身の元プロ野球選手投手)。

概要 基本情報, 国籍 ...
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経歴

プロ入り前

高松一高時代は、2年秋の県大会ベスト4が最高。龍谷大学時代は、関西六大学リーグ通算21試合に登板し、10勝5敗、防御率1.77、147奪三振。2003年の秋季リーグ戦では6勝を挙げて最優秀投手に選ばれた。明治神宮大会に出場し初戦から先発し14奪三振、2回戦も柳瀬明宏へリレーするが青学大に惜敗[1]。1学年上の投手に杉山直久植大輔がいた。

大学卒業後は、社会人野球NTT西日本に入団。オーバースロースリークォーターサイドスローとフォームに試行錯誤を繰り返していたが、MAX149km/hのストレートスライダーフォークを操り、セットアッパーとして臨んだ2005年第32回社会人野球日本選手権大会では、計8イニング無失点の活躍で決勝進出に導いた。同年の大学生・社会人ドラフト会議中日ドラゴンズが6巡目指名で交渉権を獲得し[2]、契約金4000万円、年俸1200万円(金額は推定)[3]で入団した。なおNTT西日本のチームメートである藤井淳志は、同年の大学生・社会人ドラフトで中日から3巡目で指名されている。

プロ入り後

ルーキーイヤーの2006年はシーズン最終戦の10月16日に初登板。

2008年5月28日の対オリックス戦で1年7ヶ月ぶりに一軍出場を果たし、9月10日の対巨人戦でプロ初勝利を挙げた[4]クライマックスシリーズには2試合登板。

2009年に初の開幕一軍入りを果たし、4月22日の対阪神戦で初ホールドを記録した。

2010年は1度も一軍登板はなく、12月2日に自由契約公示され[5]育成選手として引き続き中日と契約した[6]

2011年11月25日に再び支配下選手登録されることが発表されたが、2012年も1度も一軍登板はなく、11月30日に自由契約公示され[7]、その後現役を引退した。

引退後

引退後は中日の球団職員に転身した[8]。その後、2015年3月付で球団職員を退職し、4月からプルデンシャル生命保険のライフプランナーとして勤務していることが、東海ラジオのアナウンサー大澤広樹のブログの中で紹介されている[9]

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詳細情報

年度別投手成績

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年度別守備成績

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記録

背番号

  • 38 (2006年 - 2010年)
  • 203 (2011年)
  • 48 (2012年)
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脚注

関連項目

外部リンク

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