トップQs
タイムライン
チャット
視点
1966年の近鉄バファローズ
ウィキペディアから
Remove ads
1966年の近鉄バファローズでは、1966年の近鉄バファローズの動向をまとめる。
この年の近鉄バファローズは、岩本義行監督の2年目のシーズンである。
概要
パールス時代の1954年以来Aクラスから遠ざかるチームはこの年からユニフォームをロサンゼルス・ドジャース風のデザインに一新。ホーム用は「Buffaloes」の字体が変更され、ビジター用は「KINTETSU」ロゴがゴシック体になった(この年採用の新ロゴは藤井寺球場最終年の1996年まで使用)。また画家の岡本太郎がデザインした猛牛マークが5年ぶりにユニフォームに戻るなど、イメージチェンジが図られたが評価が二分され、特にビジター用は「高校野球みたいだ」と揶揄されることもあった。ドラフト会議が前年から導入されたことを受け、チームは後の300勝投手・鈴木啓示を2位で指名。鈴木は5月末に初勝利をあげると、1年目から10勝をあげる活躍を見せた。チームは4月を最下位で終えると、同じく開幕ダッシュに失敗した阪急との最下位争いがしばらく続いた。しかし8月以降は大きく負け越して最終的に3年連続の最下位。結局優勝の南海に31ゲーム、4位東京に13ゲームもの大差をつけられた。打撃陣は4番の土井正博を除いてふるわずチーム打率はリーグ5位で、安打・得点もリーグ最下位。ユニフォーム変更もチームのカンフル剤にはならず3年連続の最下位で終わり岩本監督はわずか2年で辞任。後任にはチーム生え抜きの小玉明利が選手兼任ながら監督に就任した。
Remove ads
チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 遊 | 飯田幸夫 |
---|---|---|
2 | 中 | 山本八郎 |
3 | 二 | 小玉明利 |
4 | 左 | 土井正博 |
5 | 一 | 高木喬 |
6 | 三 | クレス |
7 | 右 | ボレス |
8 | 捕 | 児玉弘義 |
9 | 投 | 徳久利明 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 南海ホークス | 79 | 51 | 3 | .608 | 優勝 |
2位 | 西鉄ライオンズ | 75 | 55 | 8 | .577 | 4.0 |
3位 | 東映フライヤーズ | 70 | 60 | 6 | .538 | 9.0 |
4位 | 東京オリオンズ | 61 | 69 | 4 | .469 | 18.0 |
5位 | 阪急ブレーブス | 57 | 73 | 4 | .438 | 22.0 |
6位 | 近鉄バファローズ | 48 | 82 | 3 | .369 | 31.0 |
Remove ads
オールスターゲーム1966
→詳細は「1966年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
できごと
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
→詳細は「1966年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
脚注
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads