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1968年イギリスグランプリ
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1968年イギリスグランプリ (1968 British Grand Prix) は、1968年のF1世界選手権第7戦として、1968年7月20日にブランズ・ハッチで開催された。
80周で行われたレースはジョー・シフェールが勝ち、自身及びスイス人ドライバーにおけるF1初勝利を挙げた。シフェールの勝利により、プライベーターのロブ・ウォーカー・レーシングチームは通算9勝目でかつ最後の勝利を挙げた。
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背景
この年は4月にジム・クラークがF2で、5月にマイク・スペンスがインディ500の練習走行で、6月にルドビコ・スカルフィオッティがヒルクライムで事故死したのに続き、前戦フランスグランプリでジョー・シュレッサーも事故で亡くなり、4ヶ月続けて現役F1ドライバーが命を落とした[1]。イギリスのファンはクラークとスペンスの2人を失ったが、グラハム・ヒルがドライバーズランキング首位で本レースを迎え、参加した20台のうちヒルを含む7人のイギリス人ドライバーを応援した[2]。
各チームとも可能な限り多くのダウンフォースを得るため、マシンに巨大なリアウイングが装着された[2][3]。ホンダも本レースからRA301にウイングを装着した[4]。
エントリー
要約
視点
クーパーは、地元イギリス出身のロビン・ウィドウズをスポット起用し[2]、レギュラーのルシアン・ビアンキがアルファロメオのスポーツカーレース用V8エンジンを搭載したT86Cを試走させた[5]。エンジンの問題により欠場が続いたイーグルがサーキットに戻ってきた[2]。
エントリーリスト
- 追記
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予選
ヒルがチームメイトの2番手ジャッキー・オリバーに0.5秒差を付けてポールポジションを獲得し、ロータス勢は3番手のクリス・エイモン(フェラーリ)とともにフロントローを占めた[注 1]。ジョー・シフェール(ロブ・ウォーカーのロータス)はヨッヘン・リント(ブラバム)とともに2列目を、3列目はダン・ガーニー(イーグル)、ジャッキー・スチュワート(マトラ・インターナショナル)、ジャック・ブラバム(ブラバム)が占めた[2]。
結果
決勝
要約
視点
3戦連続でスタート時に小雨が降り、オリバーがヒルとシフェールをリードした。先頭を走るロータスは煙に巻かれ、4周目にオリバーはヒルに抜かれた。煙の道ができていたにもかかわらず、オリバーは2位にとどまった。しかし、27周目にヒルがリアサスペンションの故障でリタイアしたため、オリバーが首位に戻った。その後方でシフェールはエイモンと2位争いを繰り広げたが、オリバーからは徐々に離されていった[2]。
イギリス人のオリバーが首位を快走して地元ファンを喜ばせたが[1]、44周目にトランスミッションが壊れてマシンを止めるとシフェールが首位に立ち[2]、プライベーターのロブ・ウォーカーが1961年ドイツグランプリのスターリング・モス以来7年ぶりの勝利を手にした[1]。フェラーリのエイモンはレース終盤にタイヤの摩耗で優勝を逃し2位、1周遅れでチームメイトのイクスが3位となった。エイモンは「もしもマシンの後尾にもっと大きなウイングを付けていたら、フェラーリは勝てたに違いない」と語っている[10]。その一方でジョン・サーティースのホンダ・RA301がレース途中でウイングの支柱にヒビが入り、34周目にウイングを吹き飛ばしてしまうアクシデントもあり(サーティースはその後、オーバーステアと格闘することになったが5位に入賞)[11]、ウイングの巨大化は安全性に疑問を投げかけることになった[12]。
結果
- ジョー・シフェール - 1:29.7(42周目)
- ラップリーダー[15]
- ジャッキー・オリバー - 20周 (Lap 1-3, 27-43)
- グラハム・ヒル - 23周 (Lap 4-26)
- ジョー・シフェール - 37周 (Lap 44-80)
- 節目となった記録
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第7戦終了時点のランキング
- 注: トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半6戦のうちベスト5戦がカウントされる。
脚注
参照文献
外部リンク
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