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ブラバム・BT26

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ブラバム・BT26
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レプコ・ブラバム・BT26 (Repco Brabham BT26) は、ブラバムが開発したフォーミュラ1カー。コスワースDFVに切り替えた後は2勝を挙げ、1969年シーズンのコンストラクターズランキング2位となった。

概要 カテゴリー, コンストラクター ...
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コンセプト

ロン・トーラナックによって設計されたBT26は、彼のスペースフレーム構造をもったF1カーの最終作であり、そのような構造を持った最後のF1カーの1台であった。燃料タンクに関するレギュレーションの変更で、スペースフレーム構造は禁止された。トーラナックはスペースフレームとアルミニウムパネルを組み合わせてセミモノコックを作り、スペースフレームチューブのサイズを小さくしてシャシーを軽量化することができた。

BT24とBT26のその他の主な違いは、より強力なレプコ・860シリーズエンジンであったが、信頼性も低くなった。1968年シーズンに何度もリタイアに苦しめられたヨッヘン・リントは翌年チーム・ロータスに移籍した。1969年、レプコエンジンはコスワースDFVに置き換えられた。この改良型はBT26Aと命名された。

レース戦績

1968年シーズンの完走はリントとブラバムのそれぞれ1つのみであった。1969年には改善が見られ、新加入のジャッキー・イクスは2勝を挙げランキング2位となった。ブラバム・フォードはフランク・ウィリアムズ・レーシングカーズピアス・カレッジの助けも得てコンストラクターズランキング2位となった。

ブラバムは1970年に新型のBT33に切り替えたことで、BT26Aはプライベーターに放出された。その中でピーター・デ・クラーク南アフリカGPで最高位を記録した。1971年、BT26Aの最後のレースとなった南アフリカGPジャッキー・プレトリウスは22周目にエンジントラブルでリタイアした。

ノンタイトル戦ではブラバムが1969年BRDCインターナショナルトロフィーで優勝し、イクスは1969年オウルトン・パークインターナショナルゴールドカップで優勝した。デクラークとプレトリアスは1970年と1971年に南アフリカのノンタイトル戦で3勝を挙げた。

1970年にデレック・ベルはDFVの2.5リッターバージョンであるコスワースDFWを搭載したBT26Aを使用してタスマンシリーズに参戦した。最高位はニュージーランドGPでの2位だったが、エンジントラブルのためシリーズ後半のオーストラリアでのレースはキャンセルを余儀なくされた。

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F1における全成績

要約
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(key) (斜体ファステストラップ

さらに見る 年, チーム ...

1 各戦とも完走者上位6名に 9-6-4-3-2-1 ポイントが与えられたが、各チームの上位の車のみに与えられた。1968年は前半6戦の内ベスト5戦と後半6戦の内ベスト5戦、1969年と71年は前半6戦の内ベスト5戦と後半5戦の内ベスト4戦、1970年は前半7戦の内ベスト6戦と後半6戦の内ベスト5戦が有効ポイントとして計算された。
2 1968年はBT26の獲得ポイントは4ポイントのみであった。残りの6ポイントはBT20BT24を使用して獲得された。
3 すべてのポイントはBT33を使用して1970年と1971年に獲得された。


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参照

外部リンク

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