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1982年の全日本ロードレース選手権
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1982年の全日本ロードレース選手権 (1982ねん の ぜんにほんロードレースせんしゅけん) は、1982年(昭和57年)3月14日の鈴鹿BIG2&4レースで開幕し、同年9月12日の第19回日本グランプリロードレース (鈴鹿)で閉幕した全9戦による1982年シーズンの全日本ロードレース選手権である。
1982年の全日本ロードレース選手権 | |||
前年: | 1981 | 翌年: | 1983 |
1982年シーズン
開催クラスに変更があり、FIM世界選手権(WGP)で350ccクラスが1982シーズンを最後に廃止されることが決定したため、全日本ロードレース選手権では350ccクラスの開催を前年度を最後として廃止することになった。このため純レーサーマシンで争われるクラスは今年度から500cc・250cc・125ccの3クラス体制となった。
第3戦鈴鹿ではノービスクラスからA級までの総エントリー台数が536台と過去最高を記録し、特にノービスF3クラスは30数台の決勝進出枠に対し119台が予選に出走するなど、ロードレースの競技人口が急速に増加傾向となり明るい話題となった[2]。


その一方で5月12日、第4戦SUGOで今季初出場を予定していたヤマハの高井幾次郎がYZR500での練習走行中に第1コーナーで転倒、首の骨を折りそのまま亡くなるという事故が発生した。このためヤマハ契約ライダーは喪に服し、第4戦を欠場した[3]。スズキの水谷も同郷・愛知県の先輩である高井の死にショックを受けており、出ていいものかためらっていたところに高井夫人から出走してほしいと励ましが届き、このSUGO大会を制することとなった[4]。
最終戦日本グランプリでは、500ccクラスにヤマハ、スズキ、ホンダに加えてカワサキもワークスマシンKR500を清原明彦と徳野政樹の2人に託し参戦を表明。国内で初めて日本4メーカーのワークスマシンが500ccクラスに出揃うことになりレースファン・報道陣からの注目度が高まったが[5]、開催週に台風18号の上陸が重なってしまったため500ccクラス決勝が中止となり、レースでの4メーカー共演は実現しなかった。同年は7月の鈴鹿8時間耐久ロードレースも台風のため6時間に短縮となっており、ビッグイベントでの天候に泣かされたロードレース界となった。
全日本選手権への出走はなかったが、10月10日のTBCビッグロードレースには第一人者である金谷秀夫がYZR500で参戦、このレースを最後に現役を引退した[6]。
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スケジュールおよび勝者
- ※鈴鹿大会で併催のスーパーバイクレース(TTフォーミュラ)には全日本選手権がかけられていない。
- ‡MFJ公認車両ではない車両(ワークスマシン)での参戦、規定により全日本選手権のポイント対象外。
- 第1戦鈴鹿の250ccと125ccクラスは、別途2月28日に決勝レース開催。
- 第9戦(最終戦)日本GPの500ccとスーパー1000(スーパーバイク)クラス決勝レースは、台風18号による荒天のため決勝レースが中止。
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シリーズポイントランキング
- 第9戦日本GPでは特別ポイントとして入賞者に従来のポイント+3ポイントが与えられる。
500cc
250cc
- 太字はポールポジション。
125cc
- 太字はポールポジション。
ジュニア区分
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関連項目
脚注
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