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1987年オーストリアグランプリ
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1987年オーストリアグランプリは、1987年F1世界選手権の第10戦として、1987年8月16日にエステルライヒリンクで開催された。
概要
予選
初日午前中に行われたフリー走行セッション中、リントカーブに向かう上り坂で鹿がコース上に侵入した。マクラーレンのステファン・ヨハンソンはコースを横断する鹿を避けようとしたが間に合わず、時速約240km/hで走行するマクラーレンの左前輪に鹿が衝突した[1]。マクラーレンはカーボンモノコックが割れるほど大破し、ヨハンソンは肋骨2本に亀裂骨折を負った。
決勝
決勝ではスタート時の事故により2度の再スタートが行われた。
最初のスタートではマーティン・ブランドルがホームストレート上でドライブシャフトのトラブルから突然コースを左に変えてコース脇のバリアに接触した。ブランドルの後方で、ピエルカルロ・ギンザーニ、ルネ・アルヌー、エイドリアン・カンポス、ジョナサン・パーマー、フィリップ・ストレイフが衝突し、3台の車両がストレート上に停止しコースを塞いだ事でレースは中断した。
2度目のスタートは2番手スタートのナイジェル・マンセルと3番手スタートのゲルハルト・ベルガーがスタートに失敗すると、マンセルのイン側を横切ろうとしたリカルド・パトレーゼがエディ・チーバーの走行ラインを塞いで乗り上げた。さらにヨハンソン、クリスチャン・ダナー、フィリップ・アリオー、イヴァン・カペリ、パスカル・ファブル、アレックス・カフィ、ギンザーニ、ストレイフが行き場を失いピット前付近で玉突き衝突し、計10台の車両がコースを完全に塞ぎ再度レースは中断した。
3度目のスタートはストレイフが搭乗できる車両を失い棄権し、チーバー、ダナー、ファブルに加えてアラン・プロストとミケーレ・アルボレートの5台がピットからのスタートとなった。アイルトン・セナがスタートに失敗したが、クラッシュもなく順調に進んだ。中嶋悟はスタートで順位を上げるも、タイヤバーストでほぼ1周を失い順位が最下位までに落ちてしまう。
マンセルはスタートにまたも失敗し、4番手に順位を落としたが、中盤までに順位を2位に戻すと、21周目にネルソン・ピケを交わして首位に立った。ピケはその周の最後にタイヤ交換を行った。マンセルはピケ以下の後続を突き放し、自身のF1決勝出走100戦目を勝利で飾った。
1度目のクラッシュによりスペアカーで出走したブランドルは、14位で完走したがレース後にリアウィング高の違反により失格とされた[2]。
このレースを最後にオーストリアGPは休止され、再開されたのは1997年だった。1997年に再開された際にはレイアウトが低速化され、コース名もA1リンクへと改名された。
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結果
予選結果
決勝結果
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脚注
関連項目
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