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クリスチャン・ダナー

ドイツのレーシングドライバー (1958-) ウィキペディアから

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クリスチャン・ダナーChristian Danner, 1958年4月4日 - )は、ドイツの元レーシングドライバー

概要 クリスチャン・ダナー, 基本情報 ...

経歴

要約
視点

生い立ち

ドイツで交通事故の予防研究者として知られる父・マックス・ダナードイツ語版の息子として生まれる。ミュンヘンの高校(Karlsgymnasium München-Pasing)を卒業後、1977年にワンメイクレースルノー・5カップでモータースポーツキャリアを開始した。

フォーミュラ2

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マーチ・822(1982年)

1980年よりヨーロッパF2選手権やドイツ・プロカーBMW M1選手権に参戦を開始。1981年にマーチ・エンジニアリングのF2におけるワークス体制ドライバーに起用される。1982年もヨーロッパF2にフル参戦、最終戦終了後の9月にはチームと共に遠征し、全日本F2選手権の「鈴鹿グレート20レーサーズ」にスポット参戦した。

1983年からはマーチによる直接のチーム運営ではなく、ワークス格チームとしてオニクスがマーチ製F2シャーシで参戦開始することになり、その流れからダナーはオニクスに加入。チームメイトはティエリー・タッシンベッペ・ガビアーニとなった。同年は同僚のガビアーニが開幕から好調でタイトル争いをリードしていたが、ダナーもポールポジションの獲得や表彰台に3度立つ活躍でランキング5位の結果を残す。この活躍によりF1ブラバムのテストに呼ばれ、BT52Bをテストで走らせることもできた。1984年は新設立されたPMCモータースポーツへ移籍し、パスカル・ファブルがチームメイトとなった。ファブルが1勝を挙げ、ダナーの最高位は2位であったが、シーズンを通してファブル(ランキング7位)より安定して選手権ポイントを獲得し続けた。シーズンでは表彰台4回、ポールポジション1回とマーチユーザーの最上位であるランキング5位となった。

国際F3000初代チャンピオン

1985年は、同年よりF2から発展的させるかたちでスタートしたF1直下カテゴリー「国際F3000選手権」に参戦 。チームは1978年までF1にマクラーレン・M23シャーシを購入してプライベート参戦[1]していたBSファブリケーション(元チーム・ロータスのエンジニア、ボブ・スパーショットがオーナー)が国際F3000の活動を本格化させた「BSオートモーティブ」より参戦。同年の国際F3000シーズン序盤は、マイク・サックウェルエマニュエル・ピロジョン・ニールセンが勝利を挙げ、ダナーはランキング5位から6位をキープしてポイントを重ねている立場だった。しかし、第5戦ポー・グランプリでダナーが初優勝を達成すると、以後7戦4勝を挙げサックウェルとピロを逆転し、初代シリーズチャンピオンを獲得した。

フォーミュラ1

この1985年シーズンの終盤、スパ1000kmレースのプラクティス中の事故で足を骨折したジョナサン・パーマーの代役として指名を受け、ザクスピードよりF1にデビューした。最終戦終了後、一度はフランスのリジェと翌年の契約をしたが、長身(1m86cm)のダナーがオフのテストでリジェのマシンに身体が収まらなかったため、その契約は開幕前の2月に解消された[2]

1986年、リジェとの破談後にイタリアのオゼッラと契約し、初めてフルタイムのF1ドライバーとなった。第6戦カナダGPではオゼッラだけでなくアロウズもダナーをエントリーしたことで、オゼッラとアロウズの間で契約問題が起こった。ダナーは一度はアロウズのコクピットに座るも、アロウズからのエントリーが遅かったことから、カナダではオゼッラから出走することとなった[3]。第7戦以降はシーズン最終戦までアロウズからエントリーされ、オーストリアGPで6位に入賞し初の選手権ポイントを獲得した。

1987年はザクスピードに復帰し、マーティン・ブランドルとのコンビとなった。ブランドルは第2戦サンマリノGPで2ポイント(ザクスピードにとってF1参戦中唯一となる入賞)を獲得した。ダナーは6度のシングルフィニッシュを果たしブランドルより高い完走率を記録したものの、最高位は2度の7位でポイント獲得は成らなかった。

1988年ラルース・カルメルの共同オーナーのディディエ・カルメルとの間でシート獲得がほぼ決まりかかるも、開幕直前にこれも破談となりF1シートを得られなかったが、5月に新興チームのユーロブルンオスカー・ララウリに替えてダナーの起用を一度は決め、ER188をテストすることになった。しかし、リジェの時と同様にダナーの身長が高すぎてER188のモノコックに体が収まらないことが判明し、チームへの加入は断念された[4]。同年はBMWアルピナチームよりドイツ・ツーリングカー選手権(旧DTM)に参戦し、2勝を挙げランキング11位となった。

1989年、ドイツに拠点を置くリアルと契約し、F1へ復帰する。同年のマシンARC2は極めて剛性の低いマシンだったが[5]フェニックス市街地コースで開催されたアメリカGPで4位入賞を果たし3ポイントを獲得。このダナーの3ポイントによってチームを予備予選対象チームから脱出させることに成功した。しかし以後は第13戦までに9回の予選不通過となり、第14戦以降はチームを離れた。

F1での予選通過回数は36であるが、1986年イギリスGP1987年ポルトガルGPではスタート直後のクラッシュに巻き込まれ、2度目のスタートに出走できなかった為、どちらもDNS扱いとなっている。

また当時、珍しくピアスをしていたことや、非常に端正な顔立ちで人気を博した。

全日本F3000選手権

1990年には全日本F3000選手権レイトンハウスよりフル参戦。レース雑誌「Racing On」誌上に連載コラムを執筆した。日本のF3000について「思っていたよりかなりレベルが高かった。毎戦上位は皆コンペティティブで、非常にシビアなシリーズだ。」と記している。また同年はレースの度にドイツと日本を行き来していたため、「フランクフルト成田の空港に顔見知りの職員が出来た」とも述べているが、「F1よりハードでステアリングを握ることにかつてないほど責任を感じたプロフェッショナルなチームとシリーズ運営に感銘を受けた」とも記しており、「F1時代には日本のファンはF1ドライバーだから僕を歓迎しているのだろうと思っていたが、F3000を見に来るレースファンも素晴らしく熱心で、その情熱は感動に値するものを感じた。」と自身への応援に謝意を述べている[6]。年間成績は4ポイントを獲得し、最高成績は第9戦富士で記録した3位表彰台、ランキングは14位となった。

インディカー

1992年にはフォーミュラのシートを求めて北米最高峰カテゴリーのCARTに第5戦デトロイトから参戦した。しかし小チームかつ前年用旧型シャーシであるローラ・T91/00での参戦のため戦闘力が低く、エントリーした8レースでの最高位は13位であった。CARTへは1997年までスポット参戦した。この中で1994年に二度12位(当時のインディカーでは12位以上がポイント獲得圏)で完走し、ダナーはF1とインディカーの両方でチャンピオンシップポイントを獲得した初のドイツ人となった。

ツーリングカー選手権

ツーリングカーレースにはF1から一時撤退した1988年から参戦し、BMWアルファロメオを駈り、ドイツツーリングカー選手権ドイツ・スーパーツーリング選手権 (STWカップ)に参戦。イギリスツーリングカー選手権 (BTCC)にも1991年にスポット参戦した[7]。1997年にレーシングドライバーの第一線から退くことを表明。

以後も単発でイベントレースへ参戦することはあり、2006年に元F1ドライバーの参戦で行われたグランプリマスターズに参戦し、2位となった。

2019年、ドイツADAC GT4選手権にTeam GTのマクラーレン・570S GT4で参戦した。

解説者として

1998年よりヨッヘン・マスの後任としてRTLテレビジョンによるF1グランプリ中継の共同解説者となった。このほか、ドイツ・オートモーター&スポーツテレビ(VOX)で交通安全研究員として活動。1999年にドイツのテレビ番組審査賞で「ベストスポーツTV生放送」部門を受賞した。

テレビでの仕事に加えて、月刊会員誌「ADAC Motorwelt」で2010年までコラムの執筆や、モータースポーツのオンラインプラットホームである Motorsport-Magazine.com にて定期的にコラムを寄稿している[8]

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レース戦績

要約
視点

ヨーロッパ・フォーミュラ2選手権

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全日本フォーミュラ2選手権

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国際F3000選手権

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マカオグランプリ

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フォーミュラ1

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(key)

全日本フォーミュラ3000選手権

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ドイツツーリングカー選手権

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国際ツーリングカー選手権

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ドイツ・スーパーツーリング選手権

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ル・マン24時間レース

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アメリカン・オープンホイール

CART

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脚注

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