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チュンソフト

かつて存在した日本のゲーム会社 ウィキペディアから

チュンソフト
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株式会社チュンソフトCHUNSOFT Co., Ltd.)は、かつて存在した日本コンピュータゲームメーカー。株式会社ゲームズアリーナの完全子会社であった。本項では合併までのチュンソフトについて解説する。

概要 種類, 本社所在地 ...
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概要

1984年、ゲームクリエイター中村光一電気通信大学在学中に設立。中村の友人らが株主となり、調布市賃貸マンションの1室で社員5人により活動を開始した。第1作は1985年のPC-6001版『ドアドアmkII』であった[1][2]

会社の名前は、中村光一の「中」と麻雀の「中」(チュン)に由来する[2]

ファミコンブームの到来によって、ファミコン版『ドアドア』のヒットで経営を軌道に載せることに成功し[1]、以後、開発した家庭用ゲーム機のゲームソフトをエニックスから発売していた。ドラゴンクエストシリーズの生みの親、堀井雄二に依頼され、第1作『ドラゴンクエスト』から『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』までのプログラミングを担当している。

2012年4月1日にスパイクを吸収合併し、社名を「株式会社スパイク・チュンソフト」に変更した。

スタンスの遍歴

チュンソフトは過去数回ほど、デベロッパー(開発元)とパブリッシャー(出版元)という2つのスタンスを行き来してきた。以下にその遍歴を記す。

第1次デベロッパー

創業から1992年の『弟切草』発売前まで。

第1次パブリッシャー

1992年に『弟切草』で自社ブランドデビューを果たし、ゲームパブリッシャーの仲間入りを果たす。

『弟切草』はアドベンチャーゲームサウンドノベルという新ジャンルを築いた。その後、ローグライクゲームを発展させた『不思議のダンジョン』シリーズを送り出し、日本市場でマイナーだった同ジャンルを定着させる。この2シリーズはチュンソフトを代表するゲームとなり、後に他社で開発された近似作品でも総称として用いられるなど、大きな成果を残している。

第2次デベロッパー

2006年にセガと協力してソフトを送り出す「セガ×チュンソフトプロジェクト」を開始し、2008年末まで続けた。この時代から2010年春頃まで発売していたソフトは、同じくドワンゴ傘下である株式会社スパイクの名義になっていた[注釈 1]

第2次パブリッシャー

2010年8月にパブリッシャー復帰を発表。これ以降発売されるソフトは、原則としてチュンソフトが開発したソフトはチュンソフトが発売元となる[注釈 2]。パブリッシャー復帰後のファーストリリース作品は『不思議のダンジョン 風来のシレン5 フォーチュンタワーと運命のダイス』になった。

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タイトル一覧

脚注

外部リンク

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