トップQs
タイムライン
チャット
視点
USエアウェイズ
1937年から2015年まで存在したアメリカの航空会社 ウィキペディアから
Remove ads
USエアウェイズ(英: US Airways)は、かつて存在したアメリカ合衆国の航空会社。2015年にアメリカン航空と合併し消滅した。アリゾナ州テンピに本拠を置いていて、1997年までの社名はUSエアー(USAir)だった。

USエアウェイズ便は慣習で「カクタス(CACTUS、サボテン)」と呼ばれる。これは乾燥地帯のアリゾナを拠点としてきたアメリカウエスト航空より引き継がれたコールサインであり、同様にICAO3レターコードもかつての「USA」ではなく、同社由来の「AWE」を使用していた。
Remove ads
概要

1939年に設立されたen:All American Aviationに起源を持ち、1952年のアレゲニー航空への改称を経て、1979年にUSエアーに改称された。
その後ピードモント航空・パシフィック・サウスウエスト航空 (PSA)を買収、さらに1992年に運航停止したトランプ・シャトルの路線を引き継ぎ、USエアーシャトルとして運航を始めた[3]。アメリカン航空に統合される前の時点でアメリカ合衆国内で4番目に大きな航空会社であった。保有機材360機を有し、北米、中央アメリカ、西インド諸島、並びにヨーロッパの241都市に就航していた。
シャーロット・ダグラス国際空港とフィラデルフィア国際空港、フェニックス・スカイハーバー国際空港をハブ空港として利用していた。
機内誌は「US Airways magazine」があった。
2005年、アメリカウエスト航空との合併を発表。2002年と2004年の2度にわたり連邦倒産法第11章の適用を受けるほど経営が低迷していたUSエアウェイズをアメリカウエスト航空側が乗っ取ることになった(逆さ合併)。合併後の社名は「USエアウェイズ」の名前が引き継がれたものの、本社はノースカロライナ州シャーロットからアメリカウエスト航空の本社があったアリゾナ州テンピに移転。合併会社のCEOに前アメリカウエスト航空CEOのダグ・パーカーが就任するなど、旧アメリカウエスト航空側が主導権を握ることとなった。
2006年11月、デルタ航空を吸収合併することを提案したが[4]、デルタ航空側には2度も拒否された。2007年1月、買収提案を撤回した。
2010年4月にはユナイテッド航空と合併交渉を行っていたことが報じられた。しかし、間もなくしてユナイテッド航空とコンチネンタル航空の合併が決定したため、交渉は破談となった。
2012年8月31日、アメリカン航空との合併の可能性が示唆された。翌年の2013年2月14日、アメリカン航空との合併計画が正式に発表され世界最大規模の航空会社となった [5]。合併後は、スターアライアンスを脱退しワンワールドに移籍[6]。
2013年12月9日、スターアライアンスを2014年3月30日に脱退し[7]、翌31日からワンワールドに移籍することを正式発表した[8]。
2015年3月、「ディビデンド・マイルズ」がアメリカン航空のマイレージサービスに統合された[9]。4月にはアメリカン航空とUSエアウェイズが単一会社として運航する認可を連邦航空局(FAA)から取得し[10]、同年10月17日には予約システムもアメリカン航空側へ統合されてUSエアウェイズのブランド使用が終了し、WEBサイトも閉鎖された[11]。
Remove ads
歴史
→「アレゲニー航空」も参照
- 1979年 : アレゲニー航空がUSエアー(USAir)へ社名を変更。
- 1987年 : USエアーがピードモント航空、パシフィック・サウスウエスト航空と合併。
- 1997年 : USエアウェイズに社名変更。
- 2002年8月11日 : アメリカ同時多発テロ事件の影響で、連邦倒産法第11章の適用を受ける。
- 2004年5月4日 : スターアライアンスに加盟。
- 2005年5月 : アメリカウエストホールディングス(アメリカウエスト航空の持ち株会社)が、USエアウェイズの吸収合併を発表。
- 2007年 : アメリカウエスト航空と経営統合。
- 2013年2月14日 : アメリカン航空との合併計画を発表。また、合併が承認された[12]。
- 2014年3月30日 : スターアライアンスを脱退[7]。
- 2014年3月31日 : ワンワールドに正式加盟[13]。
- 2015年10月17日:アメリカン航空に完全統合され、USエアウェイズのブランド使用終了。
Remove ads
就航都市
要約
視点
日本路線
現在日本への自社便としての運航はしていないものの、アメリカン航空が日本へ飛来する飛行機にコードシェア便として日本路線を開設している。
2009年8月、デルタ航空と発着枠の交換により成田国際空港へ1日1便の発着枠を取得した[14]。2012年以降に、フェニックス - 成田間に、エアバスA330-200型機で就航予定であったが、アメリカン航空との合併により白紙状態となっている。就航への要望が多かった米国南部への路線については、2015年に全日空が成田-ヒューストン線を開設した事で、日本からメキシコ湾沿岸やカリブ海地域へのアクセスが改善された。
Remove ads
保有機材
2012年4月時点での保有機材[15]
- エアバス A319型機 93機
- エアバス A320型機 72機
- エアバス A321型機 63機
- エアバス A330-200型機 7機
- エアバス A330-300型機 9機
- エアバス A350-800XWB型機 0機 (18機発注中)
- エアバス A350-900XWB型機 0機 (4機発注中)
- ボーイング 737-300型機 7機
- ボーイング 737-400型機 40機
- ボーイング 757-200型機 24機
- ボーイング 767-200ER型機 10機
- エンブラエル190型機 15機
過去にはボーイング 737-200型機、フォッカー 100型機、DC-9型機、ボーイング 727型機及びMD-80型機を使用している。また、エアバス設立後の通算7000機目の旅客機を2011年12月12日に引き渡している[16]。(エアバスA321 機体番号:N552UW)
- USエアウェイズ エアバス A320-200型機。
2012年4月以前の保有機材
PSAやピードモント航空と合併した際に、USエアウェイズが所有することとなった機体の一部は、元の航空会社の塗装に、「USAir」とだけ描いて運用に入れることもあった。
(アメリカウエスト航空便として)
Remove ads
航空事故
USエアウェイズ及び前身のUSエアーでは以下の事故が発生している。
- 1989年9月20日:USエアー5050便がニューヨーク、ラガーディア空港からの離陸を中止する際オーバーランした事故。→詳細は「USエアー5050便離陸失敗事故」を参照
- 1991年2月1日:USエアー1493便がロサンゼルス国際空港で着陸時に管制官の誤誘導により滑走路上でスカイウエスト5569便と衝突した事故。→詳細は「ロサンゼルス国際空港地上衝突事故」を参照
- 1992年3月22日:USエアー405便がニューヨーク、ラガーディア空港を離陸時に着氷により離陸できずフラッシング湾に墜落した事故。 →詳細は「USエアー405便墜落事故」を参照
- 1994年7月2日:USエアー1016便がシャーロット・ダグラス国際空港に着陸進入中にウインドシアに遭遇し墜落した事故。 →詳細は「USエアー1016便墜落事故」を参照
- 1994年9月8日:USエアー427便がピッツバーグ国際空港に着陸進入中にラダーの不具合により墜落した事故。 →詳細は「USエアー427便墜落事故」を参照
- 2003年1月8日:USエアウェイズ・エクスプレス5481便が離陸直後に失速し墜落した事故。なお、運航は委託先のエア・ミッドウエストが行っていた。→詳細は「エア・ミッドウエスト5481便墜落事故」を参照
- 2009年1月15日 : USエアウェイズ1549便が、バードストライクによりニューヨークのハドソン川に不時着水した事故。ハドソン川の奇跡と呼ばれる。→詳細は「USエアウェイズ1549便不時着水事故」を参照
Remove ads
脚注
子会社
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads