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アメリカ合衆国のインストゥルメンタル・ロック・バンド ウィキペディアから
ザ・ベンチャーズ(英語: The Ventures)は、アメリカ合衆国出身のインストゥルメンタル・ロック・バンドである。1959年にドン・ウィルソンとボブ・ボーグルにより結成され、メンバーチェンジを重ねつつ現在も活動中である。
ザ・ベンチャーズ | |
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左からボブ・ボーグル、ノーキー・エドワーズ、メル・テイラー、ドン・ウィルソン(1967年) | |
基本情報 | |
出身地 | アメリカ合衆国 ワシントン州タコマ |
ジャンル | |
活動期間 | 1959年 - |
レーベル |
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メンバー | |
旧メンバー |
故郷アメリカではサーフ・サウンドの元祖とされ、また日本においてはビートルズと並び、日本のポップスやロックに多大な影響を与えたバンドとされている[5][6]。 2008年にはロックの殿堂入りを果たした。代表曲には「急がば廻れ(ウォーク・ドント・ラン)」「ダイアモンド・ヘッド」「10番街の殺人」「パイプライン」「キャラバン」「ハワイ・ファイブ・オー」など、多くの既製曲を中心としたものが有名である[7]。
1959年、ドン・ウィルソンとボブ・ボーグルのギタリスト2人により結成。結成時は「ジ・インパクツ」を経て「ヴァーサトーンズ」と名乗っていたが、すでに使われていたため、ドンの母親であるジョシーからの提案によって「ザ・ベンチャーズ」と名乗るようになる。当初の演奏スタイルは、リードギターとリズムギターを曲によって交代するギターデュオで、ドラム、ベースなどはいなかった。結成前の1958年、ドンは自動車のセールスマン、ボブは昼間に建築業をしていた。ボブがドンに仕事を紹介し、一緒に仕事をするようになり、夜にはナイトクラブに出演してキャリアを積み、音楽関係の人脈を築き上げていく[8]。またこの頃から既にフェンダー社製のジャズマスター、ストラトキャスターを主に使用していた[9]。後にベーシストにノーキー・エドワーズ、ドラマーに、後に米空軍大将となるジョージ・バビットをメンバーとして迎え入れた。しかし、ジョージは当時未成年でナイトクラブでの演奏が許可されずデビュー前に脱退し、後任としてホーウィー・ジョンソンが加入する[10]。 デビュー曲は、ドン・ウィルソンの母親が設立した「ブルー・ホライズン」レーベルからリリースした「ザ・リアル・マッコイ(The Real McCoy)/クッキーズ&コーク(Cookies & Coke)」である[11]。続く1960年発売の「急がば廻れ(ウォーク・ドント・ラン)」でドラムは、スキップ・ムーアというクラブミュージシャンが担当し、ノーキーがベースを弾いている。地元シアトルのラジオ局がニュース番組のテーマ曲として起用したことから火が付き、米メジャーデビューを果たす。瞬く間にビルボード誌のシングル・チャート第2位を記録した[12]。「急がば廻れ(ウォーク・ドント・ラン)」は、メジャーレーベルのドルトン・レコードから再発売されている[13]。
1962年、ホーウィー・ジョンソンが交通事故に遭い、脊椎損傷が原因と言われている後遺症でツアー同行が難しくなり脱退。後任ドラマーにメル・テイラーを迎え1960年代全盛期の4人が揃った[14]。またメルが加入する前にリードギター担当がボブからノーキーになった。この交代は、元バック・オウエンスのメンバーとして既にギタリストとしてのスタイルを完成させていたノーキーにリードギターを任せた方がバンドの将来にもいいだろうというボブの判断によるものだった。またボブがベースの楽しさや自由さに開眼したことも理由の一つだった。ノーキーは後のインタビューで「ボブがリードギターを担当しているのはせいぜい数曲だろう」と発言している。デビュー前のスタジオ・ミュージシャンだったレオン・ラッセルが「テルスター」でオルガン[15]、「朝日のあたる家」でオルガン・ソロ、「十番街の殺人」でアルト・サクソフォーンの音をレスリー・スピーカーから出す手法を用いてソロを演奏した。この時期、ドラマーのメル・テイラーはハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラスの1stシングル曲「悲しき闘牛/the lonely bull」に参加している。セッション・ドラマーのハル・ブレインは自分が演奏したと自伝の中で主張しているが、それは同タイトルのアルバム収録曲の方である[16]。
1962年5月、ドンとボブの2人はオーストラリア・ニュージーランド・アメリカ・香港・フィリピンのツアー後に初来日し、東芝音楽工業(のちに東芝EMI)のイベントに参加した。ウッドベースとドラムは日本人が担当。ボブの回想によると「別に悪いミュージシャンではなかったが、ビートの感覚が違っていた」。この時米軍基地への慰問演奏なども行った記録が残っている[17]。同時に来日したのは後に共作アルバムを発表するボビー・ヴィー、ジョー・アン・キャンベルだった[18][19]。
ベンチャーズが日本で人気が出たのは1965年1月、アストロノウツなどとのパッケージ・ツアーとしてドン、ボブ、ノーキー、メルの4人で行った2回目の日本公演からだった[20]。彼等は専用ギターであるモズライトのギターを真空管アンプにプラグ・インしてラウドかつ強烈なサウンドを生み出して、たちまち若者達たちを虜にして一大エレキ・ブームを巻き起こした。この時の東京公演の模様は『VENTURES IN JAPAN』として発売された。少なくとも2公演を収録し、ベストなテイクを選んでレコードとした物である。レコードには採用されなかったテイクを、一般個人が客席から録音した物が存在している[21][22]。特に違いがあったのが「ブルドッグ」でのブリッヂ外奏法によるアドリブ。そして予定外にドン・ウィルソンが弾き始めてしまった「イエロー・ジャケット」の存在。ノーキーは困惑して、Aの開放弦を弾き続けながらドン・ウィルソンの方を向き、何の曲を弾くのかと確認していたという成毛滋による目撃談が残っている。「ワイプアウト」と「キャラバン」はレコードに収録されたテイクと同一であったが、「ワイプアウト」の出だしのドラムソロが一小節長い。これはギターかベースによる雑音が入っている部分を、レコードに収録する際にカットしたからである。また、「キャラバン」が始まる直前のMCも全く違っており、レコードに収録されているMCは別途作った物を使った事が判る。1月14日(木)のリキスポーツパレスでの追加公演は、翌15日(金)にフジテレビで放送された。
1965年7月から8月にかけて、東芝音楽工業に所属する加山雄三と複数のTV番組で共演し、加山との長年に渡る交友関係のきっかけを作った[23]。7月28日の「花椿ショウ スターの広場」に出演時、加山雄三はブラックサンドビーチを「僕が3日前にこの番組の為に作曲した」と言っている[24]。7月22日から9月2日にかけて、前座を入れずにベンチャーズ単独で2ステージのコンサート・ツアーを全国28都市にて実施。この模様は、70mmシネマスコープで収録され、1966年3月、映画『愛すべき音の侵略者』として全国ロードショー公開された。後にソフト化されて販売されたが、これはあくまでも「映画」であり、音と映像は別録りである。録音用のマイクがアンプの前に置かれている「クルエル・シー」、「テルスター」、「ブルドッグ」に関しては、撮影と同時に録音した可能性があるが、それを裏付ける資料等は残っていない。東京公演ではグヤトーンのアンプが使われたが、この映画ではアンプが映らないアングルから撮影したり、映っている場合はオプチカル合成により黒く塗り潰して隠されて、グヤトーンのアンプは完全に排除されている。画面右下、ノーキーとボブの太腿辺りに、アンプヘッドが黒く塗り潰された領域が確認出来る。(ワイプ・アウト、パイプライン、ダイアモンド・ヘッド)フェンダーのアンプが映っている場面は、全て無観客の状態で撮影されている。この時の東京公演の模様は『ALL ABOUT THE VENTURES』として発売されたが、複数の公演を収録してベストなテイクを選んでレコードとした物である。使用したアンプと会場が異なる事で、ギターとベースの音の歪具合が曲によって違っている。ドン・ウィルソンが歌う『悲しき街角』と『フィール・ソー・ファイン』は収録されなかった。8月1日にはフジテレビの「日曜お好み劇場」として『ベンチャーズ・ショウ』が放送された。内容は東京厚生年金会館或いはサンケイホールでのコンサートであり、ドン・ウィルソンが歌う『悲しき街角』と『フィール・ソー・ファイン』、ビン・コンセプションのMC、花束贈呈の場面を含めて、ほぼノーカットであった[25][26]。事前に録画収録されていた物の放送であり、9月17日に再放送されている。8月25日の北海道札幌中島スポーツセンターでのコンサートを、一般個人が客席から録音した物が存在している[27]。同じく7月のサンケイホールでのコンサートを、一般個人が客席から録音した物が存在している[28]。東京公演ではグヤトーンのアンプが使用され、それ以外の地域ではフェンダーのアンプが使用された。聞き比べると音色の違いが良くわかる。ザ・ベンチャーズが使用したmosrite(モズライト)のギターは、全ての日本公演終了後に、経緯は不明ながら加山雄三に渡り、映画『エレキの若大将』で使用された。主なTV番組出演は、7月23日にフジテレビ『スター千一夜』、7月27日にフジテレビ『ザ・ヒットパレード』[29]、7月28日と8月4日にフジテレビ『スターの広場』[30][31][32]、8月9日にフジテレビ『ミュージック・フェア65』。
1966年、加山の「君といつまでも」のカバーを日本で発表[33]。 3月20日から31日にかけて、東京・静岡・福井・富山・石川・神奈川でコンサート・ツアーを実施した。加山雄三が経営に関わっていたパシフィックパーク茅ケ崎が宿泊場所として選ばれており、そこにあった「加山雄三&ザ・ランチャーズ」の練習部屋で、オフタイムには合同練習会が行われていた。この時の模様はザ・ランチャーズのサポートメンバーであった堤光生によって録音されていた[34]。4月7日には日本テレビ『ビッグ・ヒット・ショー』でベンチャーズと加山雄三&ザ・ランチャーズが共演、これはパシフィック・パーク茅ヶ崎での収録であった。3月30日にはフジテレビ『勝ち抜きエレキ合戦』にゲスト出演して「蜜の味」を演奏した[35]。その他の主なTV番組出演は、3月23日にフジテレビ『スター千一夜』、4月5日にフジテレビ『ザ・ヒットパレード』、4月6日に再度フジテレビ『勝ち抜きエレキ合戦』。この来日時には公式ライブレコーディングは行われなかったが、東京公演を一般個人が客席から録音した物が存在している[36]。
7月には再度来日し、前年の夏同様に9月まで全国コンサート・ツアーを実施した。8月30日の釧路公演でメルが負傷して演奏不能となり、日本人のクラブ・ドラマーが代役を務めた。息子の急死によりドンが一時帰国。数箇所で、寺内タケシと、ブルー・ナイツの古賀民也が代役を務めた。フジテレビ『勝ち抜きエレキ合戦』でベンチャーズ特集が放送された。大磯ロングビーチでの特別プログラムで一般の出場者は無し、「蜜の味」「バットマン」「秘密諜報員」「二人の銀座」「キャラバン」を演奏した[37]。 「THE VENTURES on stage ENCORE!」が日本実況録音盤として発売されたが、スタジオ録音された音源に歓声等を被せた疑似ライブである。
1967年7月25日から8月17日にかけて全国コンサート・ツアーを実施した。8月16日の東京厚生年金会館では、奥村チヨがゲスト出演して「北国の青い空」を歌った。この公演の模様は『THE VENTURES LIVE, AGAIN!』として発売されたが、数曲カットされただけでなく、『THE VENTURES on stage ENCORE!』と同じ音源が収録されている等、とてもおかしな内容になってしまっていた。この公演の模様はほぼ完全な内容でテレビ放送されており、オープニング・ナンバーはパイプラインであった[38]。
東芝音楽工業は5大レコード会社(キング、コロムビア、ビクター、テイチク、ポリドール)に次ぐ新興のレコード会社で、当初は専属作曲家がいなかった[39]。
ベンチャーズ歌謡をプロデュースした[40]東芝音楽工業の草野浩二によると、ベンチャーズは来日時に日本の歌謡曲を聞いて研究した上で、「こういうメロディを作ったから聞いてくれ」と売り込んできた[39]。そのメロディ・ラインは「外国人が作ったとは思えないほど日本人の好みに合致する歌謡曲」だったため、日本語の歌詞をつけるのを企図するようになる。
1966年、「GINZA LIGHTS」(銀座の灯り)はベンチャーズが銀座の夜景をイメージして書いたものを、経緯は不明ながら越路吹雪(東芝所属)に提供した物であったが、曲を聴いた越路は「これは自分が歌うより、もっと若い人が歌った方がいい」と青春映画スターである和泉雅子と山内賢に曲を譲り、「二人の銀座」(和泉雅子&山内賢)としてリリースされ、大ヒット[23]。作詞は永六輔が担当、軽快な曲調と爽やかな歌声でミリオンセラーの大ヒットとなり、翌年、二人の主演で同名の映画も製作される。この成功により、東芝は他の所属歌手の曲制作もベンチャーズに依頼するようになる[23]。「二人の銀座」には続編が制作され「東京ナイト」という曲をベンチャーズが作曲し、同名の映画が和泉雅子&山内賢主演で制作されている。 なお、本来は岩谷時子が詞をつける予定だった[41]。1966年7月に、ザ・ベンチャーズが勝ち抜きエレキ合戦に出演した際、審査員で音楽評論家の福田一郎が「二人の銀座」は岩谷時子が詩を書いて加山雄三が歌うと予告していたが(twitterに投稿された録音)、結果的には日活の山内賢&和泉雅子コンビが歌った。
続いて1967年には「北国の青い空」(奥村チヨ)をリリース。
1968年、ノーキー・エドワーズが一度脱退し、後任ギタリストにジェリー・マギーが加入すると、より本格的に日本をテーマにした楽曲を作り始め、「京都の恋」(1970年)、「京都慕情」(1970年)、「長崎慕情」(1971年)(いずれも渚ゆう子)、「雨の御堂筋」(1971年)(欧陽菲菲)[23][40]など、次々とヒット曲が生み出され、それらは「ベンチャーズ歌謡」と称されるようになった。その日本情緒豊かな楽曲は「アメリカ人にこんな日本的な曲が書けるのか」と当時の日本の音楽評論家たちを驚かせた[42]。中でも「京都の恋」は(1970年)第12回日本レコード大賞企画賞を受賞している[43]。
1972年、ジェリー・マギーとメル・テイラーの脱退後、ノーキー・エドワーズが復帰し、メルの後任には元SHANGOのジョー・バリルが加入した。脱退したジェリーとメルは新たなバンド「メル・テイラー&ザ・ダイナミックス」を結成し、2005年よりベンチャーズの一員となったボブ・スポルディングも同バンドにてリズムギターを担当しており、翌1973年に初来日を果たした。
1978年、ジョー・バリルがコカイン所持の疑いで警視庁に逮捕された[44]後に脱退(解雇)。メル・テイラー&ザ・ダイナミックス解散を経てメル・テイラーが復帰し、ドン、ボブ、ノーキー、メルの4人が再び勢揃いする。その後、ジェリー・マギーも復帰し、1984年にボブ・ボーグルが入院したため、その代役としてリードギタリストであるジェリーとノーキーが交互にツアーでベースを担当していた。その後、ノーキーがソロ活動等のために再び脱退し、以降はジェリーがリードギターに専念するようになる。1991年大晦日には、ドン、ボブ、ジェリー、メルの4人で第42回NHK紅白歌合戦に出場し、10番街の殺人、ダイアモンド・ヘッド、パイプラインの3曲を演奏した[45]。
1996年、夏の来日ツアー中にメル・テイラーが体調を崩しアメリカへ緊急帰国したが、それから僅か10日後に死去。ザ・ナックのドラマーであったブルース・ゲイリーが代役を務める。同年の中野サンプラザで追悼公演が行われ、後任となるメル・テイラーの息子リオン・テイラーの紹介がなされ、数曲、ドラマーとして演奏し、以後、現在も在籍しドラマーとして活動を続けている。
1998年、赤坂BLITZにて開催された「永遠のギターキッズ」にて、加山雄三、ハイパーランチャーズ、Dr.K Project、中シゲヲと共演。ドン、ボブ、ノーキー、ジェリー、リオンが同じ舞台に立ち、歴史的共演を行った。なお、この公演の2日目には、山下達郎もゲスト出演した。1999年以降はジェリーが夏、ノーキーがスペシャルゲストとして冬にそれぞれ日本公演でリードギターを演奏するようになり、ノーキーが来日ツアーを引退する2016年までほぼ毎年夏期と冬期両方に来日していた。
2004年、日米交流150周年記念外務大臣賞を受賞[46]し、ドン、ボブ、ノーキーが授賞式に参加。2005年にボブ・ボーグルが体調悪化によりツアー参加が難しくなったため、ボブ・スポルディング(元メル・テイラー&ザ・ダイナミックスのリズムギタリスト)がサポートメンバーとして加入した。
2006年、彼らの最初の大ヒット曲である「急がば廻れ(ウォーク・ドント・ラン)」がグラミーの殿堂入りを果たし[47]、2008年にはロックの殿堂(The Rock and Roll Hall of Fame and Museum)入りを果たした[48]。ドン、ノーキー、リオン、ボブ・スポルディング、ジョン・ダリル(ジェリー・マギーの代理として出席)がニューヨーク・ウォルドルフ・アストリアホテルで開催された授賞式に出演し、プレゼンターとしてベンチャーズの影響を受けていたことを公言したジョン・フォガティが登場。フォガティの紹介に続いてベンチャーズが登場し、「急がば廻れ(ウォーク・ドント・ラン)」を基本編成の4人で、「ハワイ・ファイブ・オー」をブラスセクション付きで演奏した。
2009年、結成50周年を迎え、同年6月14日にボブ・ボーグルが死去[49]。以後はボブ・スポルディングが後任として正式メンバーとなった。2010年春の叙勲にてメンバーのうち5人が旭日小綬章を受章[50]。
2014年、結成55周年を迎えたが、翌2015年度の来日ツアーをもって、結成メンバーであるドン・ウィルソンがツアーからの引退を正式に表明し[51]、同年のツアー最終日において、2016年からドンに代わりボブ・スポルディングがリズムギターを担当し、ボブの息子であるイアン・スポルディングをベーシストに迎え活動していくことが発表された。 また、同年からボブとイアンのスポルディング親子にリオン・テイラー、そして、前年からベンチャーズのサポートメンバーとしてアメリカ国内で活動していたベーシスト、ルーク・グリフィンによるニューバンド「V-2」が活動を開始。
2016年、前年のドン・ウィルソンのツアー引退に続き、ノーキー・エドワーズも自身の高齢と体力低下により、同年の来日ツアーが最後の来日となることを表明した。2017年8月の来日ツアー中にジェリー・マギーが入院。その連絡を受け、「V-2」のメンバーであるルーク・グリフィンが急遽来日し、ベースで7公演ほど残りの日本公演に初参加したことで、結成55周年ジャパンツアーを無事終えた。2018年にドン、ノーキーに続き、ジェリーも自身の高齢化のためツアー引退を発表。それに伴い、同年以降の来日公演は、昨年来日しジェリーの代わりに日本ツアーに初参加したベーシストのルークを正式メンバーに迎え、前述の通りである「V-2」のメンバーによる新体制ベンチャーズとして、7月より来日ツアーが新たに開始された。同年3月12日にノーキー・エドワーズが死去[11]。
2020年と2021年、新型コロナウィルスの影響でアメリカからの入国が制限されている為、来日ツアーが2022年以降に延期となる[55][56]。
2022年1月22日、リーダーのドン・ウィルソンが死去[57][58]。ドンの死去により、結成メンバーは全員故人となった。
ドン・ウィルソン死去に伴い、バンド名を封印するのではと推測や推察がなされたようだが、バンド名は継続して名乗る模様。
2022年、初来日から60周年を迎えるにあたり、またアメリカからの入出国規制が緩んだこともあり、記念ツアーを開催することが決定した。
2023年、長らく招聘元となっていたM&Iカンパニーが前年末を持って閉業、その後任となる招聘先が決まらなかったため、当年の来日公演は開催されないことが公式に発表された。
2024年、新しい招聘先が未決のため、当年度の来日公演は昨年に続き開催されない。
日 | 曜日 | エリア1 | エリア2 | 会場 |
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2 | 土 | 来日 | ||
3 | 日 | 東京都 | 新宿区 | 東京厚生年金会館 |
3 | 日 | 東京都 | 渋谷区 | リキスポーツパレス |
4 | 月 | 東京都 | 渋谷区 | リキスポーツパレス×2 |
5 | 火 | 大阪府 | 大阪市 | 大阪フェスティバルホール×2 |
6 | 水 | 愛知県 | 名古屋市 | 愛知県体育館 |
7 | 木 | 東京都 | 千代田区 | サンケイホール |
8 | 金 | 東京都 | 新宿区 | 東京厚生年金会館 |
8 | 金 | 神奈川県 | 横浜市 | 横浜文化体育館 |
9 | 土 | 東京都 | 渋谷区 | リキスポーツパレス×2 |
10 | 日 | 東京都 | 新宿区 | 東京厚生年金会館×2 |
11 | 月 | |||
12 | 火 | |||
13 | 水 | 北海道 | 札幌市 | 札幌市民会館 |
14 | 木 | 東京都 | 渋谷区 | リキスポーツパレス |
1965年7月24日(土)東京厚生年金会館
第1部
01.10番街の殺人 02.ペネトレイション 03.クルーエル・シー 04.ウォーク・イン・ザ・ルーム 05.朝日のあたる家 06.ラップ・シティ 07.夢のマリナー号 08.ピンク・パンサーのテーマ 09.サマータイム 10.イエロー・ジャケット 11.ラヴ・ポーションNo.9 12.悲しき街角(Vo:ドン) 13.ウォーク・ドント・ラン'64 14.キャラバン
第2部
15.ベンチャーズ・メドレー(LG:ボブ) ...........ウォーク・ドント・ラン~パーフィディア~木の葉の子守歌 16.悲しき闘牛(LG:ボブ) 17.テルスター(LG:ボブ) 18.ドライヴィング・ギター 19.フィール・ソー・ファイン(Vo:ドン) 20.パイプライン 21.アウト・オブ・リミッツ 22.アパッチ 23.アイ・フィール・ファイン 24.サーフ・ライダー 25.星への旅路 26.ブルドッグ 27.バンブル・ビー・ツイスト 28.ダイアモンド・ヘッド アンコール 29.ワイプ・アウト
1965年7月25日(日)東京厚生年金会館
第1部
01.クルーエル・シー 02.ペネトレイション 03.ウォーク・イン・ザ・ルーム 04.10番街の殺人 05.朝日のあたる家 06.ラップ・シティ 07.夢のマリナー号 08.ピンク・パンサーのテーマ 09.アウト・オブ・リミッツ 10.イエロー・ジャケット 11.ラヴ・ポーションNo.9 12.悲しき街角(Vo:ドン) 13.ウォーク・ドント・ラン'64 14.ワイプ・アウト
第2部
15.ベンチャーズ・メドレー(LG:ボブ) ...........ウォーク・ドント・ラン~パーフィディア~木の葉の子守歌 16.悲しき闘牛(LG:ボブ) 17.テルスター(LG:ボブ) 18.ドライヴィング・ギター 19.フィール・ソー・ファイン(Vo:ドン) 20.パイプライン 21.アパッチ 22.アイ・フィール・ファイン 23.サーフ・ライダー 24.ブルドッグ 25.バンブル・ビー・ツイスト 26.ダイアモンド・ヘッド アンコール 27.キャラバン
1965年7月26日(月)東京サンケイホール
第1部
01.クルーエル・シー 02.ペネトレイション 03.ウォーク・イン・ザ・ルーム 04.10番街の殺人 05.朝日のあたる家 06.ラップ・シティ 07.夢のマリナー号 08.ピンク・パンサーのテーマ 09.アウト・オブ・リミッツ 10.イエロー・ジャケット 11.ラヴ・ポーションNo.9 12.悲しき街角(Vo:ドン) 13.ウォーク・ドント・ラン'64 14.ワイプ・アウト
第2部
15.ベンチャーズ・メドレー(LG:ボブ) ...........ウォーク・ドント・ラン~パーフィディア~木の葉の子守歌 16.悲しき闘牛(LG:ボブ) 17.テルスター(LG:ボブ) 18.ドライヴィング・ギター 19.フィール・ソー・ファイン(Vo:ドン) 20.パイプライン 21.アパッチ 22.アイ・フィール・ファイン 23.サーフ・ライダー 24.ブルドッグ 25.バンブル・ビー・ツイスト 26.ダイアモンド・ヘッド アンコール 27.キャラバン
1965年8月25日(水)札幌 中島スポーツ・センター
第1部
01.クルーエル・シー 02.ペネトレイション 03.ブルドッグ 04.アイ・フィール・ファイン 05.朝日のあたる家 06.ラップ・シティ 07.アウト・オブ・リミッツ 08.10番街の殺人 09.べサメ・ムーチョ・ツイスト 10.ラヴ・ポーションNo.9 11.悲しき街角(Vo:ドン) 12.ウォーク・ドント・ラン'64 13.ワイプ・アウト
第2部
14.ベンチャーズ・メドレー(LG:ボブ) ...........ウォーク・ドント・ラン~パーフィディア~木の葉の子守歌 15.悲しき闘牛(LG:ボブ) 16.テルスター(LG:ボブ) 17.ドライヴィング・ギター 18.フィール・ソー・ファイン(Vo:ドン) 19.アパッチ 20.パイプライン 21.バンブル・ビー・ツイスト 22.ダイアモンド・ヘッド アンコール 23.キャラバン
日 | 曜日 | エリア1 | エリア2 | 会場 |
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21 | 水 | 来日 | ||
22 | 木 | 東京都 | 豊島区 | 池袋東武デパートにてサイン会 |
23 | 金 | |||
24 | 土 | 東京都 | 新宿区 | 東京厚生年金会館×2 |
25 | 日 | 東京都 | 新宿区 | 東京厚生年金会館×2 |
26 | 月 | 東京都 | 千代田区 | サンケイホール |
27 | 火 | 東京都 | 千代田区 | サンケイホール |
27 | 火 | 東京都 | 台東区 | 台東体育館 |
28 | 水 | 東京都 | 新宿区 | フジテレビ ザ・ヒットパレードに出演 |
29 | 木 | 京都府 | 京都市 | 京都会館×2 |
30 | 金 | 京都府 | 京都市 | 京都会館×2 |
31 | 土 | 大分県 | 別府市 | 別府観光会館 |
日 | 曜日 | エリア1 | エリア2 | 会場 |
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1 | 日 | 福岡県 | 福岡市 | 九電記念体育館 |
2 | 月 | 京都府 | 京都市 | 京都会館×2 |
3 | 火 | 兵庫県 | 神戸市 | 神戸会館×2 |
4 | 水 | 大阪府 | 大阪市 | 大阪フェスティバルホール×2 |
5 | 木 | |||
6 | 金 | 愛知県 | 名古屋市 | 名古屋市公会堂 |
7 | 土 | 東京都 | 東京音協例会×2 | |
8 | 日 | 石川県 | 金沢市 | 金沢観光会館×2 |
9 | 月 | 富山県 | 富山市 | 富山市公会堂 |
10 | 火 | 神奈川県 | 横浜市 | 横浜文化体育館 |
11 | 水 | 神奈川県 | 葉山市 | 葉山マリーナ |
11 | 水 | 神奈川県 | 平塚市 | 平塚市民センター |
12 | 木 | 静岡県 | 浜松市 | 浜松市民会館 |
13 | 金 | 静岡県 | 静岡市 | 駿府会館 |
14 | 土 | 群馬県 | 高崎市 | 高崎音楽センター |
15 | 日 | 福島県 | 福島市 | 福島県営体育館 |
16 | 月 | |||
17 | 火 | 山形県 | 山形市 | 山形県民体育館 |
18 | 水 | 宮城県 | 仙台市 | 仙台市公会堂×2 |
19 | 木 | 秋田県 | 秋田市 | |
20 | 金 | |||
21 | 土 | 北海道 | 室蘭市 | 室蘭文化センター |
22 | 日 | 北海道 | 旭川市 | 旭川国際劇場×2 |
23 | 月 | 北海道 | 帯広市 | 帯広市民会館 |
24 | 火 | 北海道 | 釧路市 | 釧路体育館 |
25 | 水 | 北海道 | 札幌市 | 札幌スポーツセンター |
26 | 木 | 東京都 | 八王子市 | 八王子市民会館 |
27 | 金 | 東京都 | 新宿区 | 東京厚生年金会館×2 |
28 | 土 | 京都府 | 京都市 | 京都会館×2 |
29 | 日 | 広島県 | 広島市 | 広島市公会堂×2 |
30 | 月 | 大阪府 | 北区 | サンケイホール×2 |
31 | 火 | 東京都 | 大田区 | 大田区民会館 |
日 | 曜日 | エリア1 | エリア2 | 会場 |
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1 | 水 | 東京都 | 新宿区 | 東京厚生年金会館×2 |
2 | 木 | 神奈川県 | 川崎市 | 川崎市民会館 |
3 | 金 | 帰国 |
1966年3月20日(日)東京厚生年金会館
01.10番街の殺人 02.蜜の味 03.ラ・バンバ 04.若さでゴー・ゴー 05.青い渚をぶっとばせ 06.テン・セカンス・トゥ・ヘヴン(パラダイス・ア・ゴー・ゴー) 07.カミン・ホーム・ベイビー 08.ナポレオン・ソロのテーマ 09.秘密諜報員 10.ビートでOK 11.君といつまでも 12.夜空の星 13.パイプライン アンコール 14.キャラバン
日 | 曜日 | エリア1 | エリア2 | 会場 |
---|---|---|---|---|
18 | 金 | 来日 | ||
19 | 土 | |||
20 | 日 | 東京都 | 新宿区 | 東京厚生年金会館×2 |
21 | 月 | 東京都 | 新宿区 | 東京厚生年金会館×2 |
22 | 火 | |||
23 | 水 | 静岡県 | 静岡市 | 駿府会館 |
24 | 木 | 東京都 | 新宿区 | 東京厚生年金会館 |
25 | 金 | 福井県 | 福井市 | 福井体育館 |
26 | 土 | 富山県 | 富山市 | 富山市公会堂 |
27 | 日 | |||
28 | 月 | 石川県 | 金沢市 | 金沢観光会館 |
29 | 火 | 神奈川県 | 横浜市 | 横浜文化体育館 |
30 | 水 | 東京都 | 大田区 | 大田公会堂 |
31 | 木 | 東京都 | 新宿区 | 東京厚生年金会館×2 |
日 | 曜日 | エリア1 | エリア2 | 会場 |
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13 | 水 | 来日 | ||
14 | 木 | 台湾へ | ||
15 | 金 | |||
16 | 土 | |||
17 | 日 | 再来日 | ||
18 | 月 | 東京都 | 港区 | ヒルトンホテル記者会見レセプション |
19 | 火 | 東京都 | テレビ出演 | |
20 | 水 | 東京都 | 渋谷区 | 渋谷公会堂 |
21 | 木 | 新潟県 | 新潟市 | 新潟市体育館 |
22 | 金 | 新潟県 | 長岡市 | 長岡市厚生会館 |
23 | 土 | 山形県 | 酒田市 | 酒田市民会館 |
24 | 日 | |||
25 | 月 | 宮城県 | 仙台市 | スポーツ・センター |
26 | 火 | 岡山県 | 岡山市 | |
27 | 水 | 兵庫県 | 姫路市 | |
28 | 木 | 高知県 | 高知市 | 高知県民ホール |
29 | 金 | 愛媛県 | 松山市 | 愛媛県民ホール |
30 | 土 | 静岡県 | 富士市 | 吉原市民会館×2 |
31 | 日 | 静岡県 | 伊東市 | 観光会館×2 |
日 | 曜日 | エリア1 | エリア2 | 会場 |
---|---|---|---|---|
1 | 月 | 愛知県 | 名古屋市 | 名古屋市公会堂 |
2 | 火 | 大阪府 | 大阪市 | 大阪フェスティバルホール |
3 | 水 | 静岡県 | 静岡市 | 駿府会館×2 |
4 | 木 | 福岡県 | 北九州市 | 北九州市体育館 |
5 | 金 | 山口県 | 山口市 | 山口市体育館 |
6 | 土 | 島根県 | 出雲市 | 出雲市民会館 |
7 | 日 | 鳥取県 | 米子市 | 米子市民会館 |
8 | 月 | 熊本県 | 熊本市 | 熊本市体育館×2 |
9 | 火 | 福岡県 | 大牟田市 | 大牟田市公会堂 |
10 | 水 | 鹿児島県 | 鹿児島市 | 鹿児島市体育館 |
11 | 木 | 福岡県 | 飯塚市 | 飯塚市嘉穂劇場 |
12 | 金 | 佐賀県 | 唐津市 | 唐津市体育館 |
13 | 土 | 長崎県 | 佐世保市 | 佐世保市体育館 |
14 | 日 | 長崎県 | 長崎市 | 長崎市公会堂 |
15 | 月 | 大分県 | 別府市 | 別府観光会館 |
16 | 火 | 宮崎県 | 宮崎市 | 宮崎市体育館 |
17 | 水 | 山口県 | 下関市 | 下関市体育館 |
18 | 木 | 山口県 | 岩国市 | 岩国帝人会館 |
19 | 金 | 京都府 | 京都市 | 京都会館 |
20 | 土 | 京都府 | 京都市 | 京都会館 |
21 | 日 | |||
22 | 月 | 富山県 | 高岡市 | 高岡市民会館 |
23 | 火 | 石川県 | 小松市 | 小松体育館 |
24 | 水 | 福島県 | 福島市 | 福島県民会館 |
25 | 木 | 北海道 | 札幌市 | 道新ホール |
26 | 金 | 北海道 | 苫小牧市 | |
27 | 土 | 北海道 | 室蘭市 | |
28 | 日 | 青森県 | 弘前市 | |
29 | 月 | 北海道 | 帯広市 | |
30 | 火 | 北海道 | 釧路市 | |
31 | 水 | 北海道 | 旭川市 |
日 | 曜日 | エリア1 | エリア2 | 会場 |
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1 | 木 | 神奈川県 | 横浜市 | 横浜文化体育館 |
2 | 金 | 兵庫県 | 神戸市 | 神戸国際会館 |
3 | 土 | 東京都 | ||
4 | 日 | 東京都 | 渋谷区 | 渋谷公会堂×2 |
5 | 月 | 岩手県 | 盛岡市 | 岩手教育会館 |
6 | 火 | 青森県 | 八戸市 | |
7 | 水 | |||
8 | 木 | |||
9 | 金 | 沖縄 | ||
10 | 土 | 沖縄 | ||
11 | 日 | 沖縄 |
1967年7月25日(火)東京厚生年金会館
01.恋はちょっぴり 02.ブルー・シャトー(mosrite12弦:ノーキー) 03.ブラック・サンド・ビーチ 04.ウーリー・ブリー 05.ダイアモンド・ヘッド 06.二人の銀座 07.サイケデリック・ドリーム 08.恋のハレルヤ 09.ハッピー・トゥゲザー 10.夕日は沈む 11.ヴァイブレーションズ 12.涙のギター 13.パイプライン アンコール 14.キャラバン
1967年8月16日(水)東京厚生年金会館
01.パイプライン 02.ブルー・シャトー(mosrite12弦:ノーキー) 03.ブラック・サンド・ビーチ 04.10番街の殺人 05.北国の青い空(Vo:奥村チヨ) 06.恋はちょっぴり 07.二人の銀座 08.ウーリー・ブリー 09.アパッチ 10.涙のギター 11.蜜の味 12.ウォーク・ドント・ラン'64 13.ワイプ・アウト 14.ヴァイブレーションズ 15.夕日は沈む 16.ダイアモンド・ヘッド アンコール 17.キャラバン
日 | 曜日 | エリア1 | エリア2 | 会場 |
---|---|---|---|---|
25 | 火 | 東京都 | 新宿区 | 東京厚生年金会館 |
26 | 水 | 京都府 | 京都市 | 京都会館 |
27 | 木 | 京都府 | 京都市 | 京都会館×2 |
28 | 金 | 福岡県 | 福岡市 | 九電記念体育館 |
29 | 土 | 鹿児島県 | 鹿児島市 | 鹿児島市体育館 |
30 | 日 | 岡山県 | 岡山市 | |
31 | 月 | 広島県 | 広島市 |
日 | 曜日 | エリア1 | エリア2 | 会場 |
---|---|---|---|---|
1 | 火 | |||
2 | 水 | |||
3 | 木 | 神奈川県 | 横浜市 | 横浜文化体育館 |
4 | 金 | 愛知県 | 名古屋市 | 中日劇場 |
5 | 土 | |||
6 | 日 | 大阪府 | 大阪市 | フェスティバルホール |
7 | 月 | 北海道 | 函館市 | 巴座 |
8 | 火 | 北海道 | ||
9 | 水 | 北海道 | ||
10 | 木 | |||
11 | 金 | 香川県 | 高松市 | |
12 | 土 | 静岡県 | 浜松市 | |
13 | 日 | 新潟県 | 新潟市 | |
14 | 月 | 長野県 | 長野市 | |
15 | 火 | 長野県 | 松本市 | |
16 | 水 | 東京都 | 新宿区 | 東京厚生年金会館 |
17 | 木 | 静岡県 | 静岡市 | 駿府会館 |
現在も世界各国にファンがおり、コピーバンドも多数存在する。特に日本では老若男女問わず存在し、さらには子供のコピーバンドまでいるほどである。これは、日本との特別な関係や与えた影響という観点から、日本の音楽史になくてはならない存在とされる。彼らがアメリカ本国で一番人気があったのは1960年代までだが、日本では長く人気を保ち続けている[59]。米国のバンドではあるものの、インストゥルメンタルグループであり言語の壁を乗り越えその明快な楽曲が受け入れられ、米国以上に日本のエレキギターブームやポップスシーンに影響を及ぼした。日本で発表されたレコードなどの総売上は4000万枚を超える。現在も定期的に日本公演を行っている[60]。 1965年夏のステージは2部構成のプログラム進行を採ったが、1966年3月以降は暫く1部構成に戻った。(1971年頃より2部構成となった)アンコールでは「キャラバン」が演奏されるのが恒例である。(1965年7月24日の東京厚生年金会館等、一部例外あり)さらに長尺のドラムソロと、ドラムスティックでベースの弦を叩くパフォーマンスが行われる。
旧メンバー
この他、1970年代半ばころには、スーザン・シュレイバー、リーシャ・キャリー、ジョネル・カレンダーといった女性シンガーがツアーに参加したこともある。また、1984年のライヴではレア・アースやナイト・シティのギタリストだったポール・ウォーレンがボブ・ボーグルの代理で一時的にベースを弾いている。
レコーディングでは無名のスタジオ・ミュージシャンが多数加わり、例えば「テルスター」ではキーボードが主要メロディーを取り、「ダイアモンド・ヘッド」、「十番街の殺人」ではアルト・サックスにエフェクト・ペダルやレスリー・スピーカーを介して後のシンセサイザーを連想させる音色に似たサウンドを加えたり、曲によっては女声コーラスを導入したり、ブラスセクションやオーケストラを起用するなど、これらをサウンド面の主要アクセントにした。さらにはギターよりキーボード(当時ファルフィッサ製電子オルガンなどが使われていた)をリードパートに多用した曲が多く、その後正式にキーボーディストをメンバーとして加え5人編成となった時期もある[68](5人体制時期は1968年から1972年前半および1974年から1976年である)。ステージ上ではリードギターとベースが途中で交代する場面もある(最初期の演奏ではボブ・ボーグルだけでなくドン・ウィルソンがリードギターを担当するなど、現在と比べて演奏面やサウンド面も大きく異なっている)。
最初のヒットシングルとなった「急がば廻れ(ウォーク・ドント・ラン)」は、チェット・アトキンスが自身で編み出した「ギャロッピング奏法」をベース、メロディ、コードバッキングに分解し、それにドラムパートを加えロックンロールのリズムに乗せるといった初期のベンチャーズの基本的な演奏スタイルとなっている[69]。
アンプ内蔵或いは外付けのリヴァーブをフルにし低音弦をスライドさせて、トレモロ・ピッキングを行う「トレモロ・グリスダウン」奏法(日本では一般的に「テケテケ」と呼ばれる。しかし開祖はキング・オブ・サーフ・ギターと謳われるディック・デイルであり、ベンチャーズが編み出したわけではない)と共に、「ダイアモンド・ヘッド」、「パイプライン」(これを題材にしたのが映画化もされた芦原すなお原作の『青春デンデケデケデケ』)、「10番街の殺人」、「急がば廻れ '64(ウォーク・ドント・ラン '64)」、「キャラバン」など、数々の名演を生み出した。ベンチャーズは最初にサーフ・ミュージックを演奏したバンドとも言われている[70]。1965年1月、7~9月、1966年3月、7~9月の来日公演では、「トレモロ・グリスダウン」奏法時にアンプ内蔵及び外付けのリヴァーブは使用していない。
2代目のリード・ギタリスト(初期はベーシスト)であるノーキー・エドワーズは2回目の来日公演(1965年1月)(4人のフルメンバーとしては初来日)で「電気ギターの王様」と紹介され、天才的で卓越したテクニックは多くの日本人ギタリスト達に影響を与えた。彼はカントリー・ピッキング(親指と人差し指でピックを固定し、中指と薬指を同時に利用する多指奏法)を基本としたテクニックで、トレモロアームをアクセントとして使用し、モズライトギターの高出力ピックアップを活かしたラウドで金属的なサウンドを作り出していた。特に1965年1月来日時の録音を収めた「VENTURES IN JAPAN」の「ドライヴィング・ギター」の強烈なアームダウンと、「ブルドッグ」のブリッヂ外奏法によるソロはモズライトギターならではのサウンドである。その後、彼は1980年代にベンチャーズを脱退(2度目の脱退)し、ソロ活動が中心となっているが、公式ホームページでは脱退扱いにはなっておらず、実際本国では何度か、ノーキーがベンチャーズに参加して活動している。近年は、オリジナルモデルのギターを用い、よりカントリースタイルを意識した演奏となっており音色もソフトなものとなっている。
1968年にノーキーが1度目の脱退をし、3代目リード・ギタリストとして加入したのがジェリー・マギーである。ジェリーはエミルー・ハリス、エルビス・プレスリー、デラニー&ボニー、モンキーズなど多数のレコーディングやセッションなどで経験を積んで来たスタジオ・ミュージシャンである[71]。ジェリーのサムピックを使用した奏法(ノーキーも1972年に復帰したときからレコーディングやステージでサムピックを使用するようになった)や彼の出身地ルイジアナをルーツとした南部色の強いソウルフルなサウンドが特徴的である。「朝日のあたる家」は、ベンチャーズが1960年代からもともとレパートリーとしているが、1980年代にジェリーが再加入した後のステージでは彼独特のアドリブによるブルージーなサウンドが、新たな聞かせどころとなっている。その後は、中音域をブーストさせる回路付きのフェンダー・ストラトキャスターを用いており、曲によってブーストのかかり具合を微調整して、音色にバリエーションを持たせる工夫をしている。
年度/放送回 | 回 | 曲目 |
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1991年(平成3年)/第42回 | 初 | 10番街の殺人-ダイアモンド・ヘッド-パイプライン |
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