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渚ゆう子
日本の大阪府出身の女性歌手 ウィキペディアから
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渚 ゆう子(なぎさ ゆうこ、1945年11月8日 - )は、日本の歌手。大阪市浪速区出身。本名は大江 千鶴子。ハワイアン歌手としてレコードデビューの後、1970年にベンチャーズ作曲・演奏の「京都の恋」を日本語の歌詞で唄って、大ブレイクし一躍人気歌手となった。
経歴
母親が沖縄、父親は京都府出身。幼少より両親の熱心な教育を受け、沖縄民謡と琉球舞踊を習熟する。
1964年、久葉真鶴(くばまづる)の芸名[1]で芸能界入り。
1965年、和田弘とマヒナスターズの前唄で出演した。そのとき、リーダー和田弘のすすめがあり上京。作曲家浜口庫之助に師事し、ハワイアンを覚える[1]。
1966年、「渚ゆう子」に改名。命名当初は渚夕子だったが、日没のイメージは良くないということでゆう子となった。名付け親はマヒナスターズの松平直樹[2]。
1967年、ハワイアン歌謡「早くキスして」でレコードデビュー。そのB面は「ルアウの火も消えて」どちらも東芝レコードのスチールギター奏者でハニーアイランダースのリーダー大橋節夫が作曲した。
1970年、ベンチャーズ作曲の「京都の恋」「京都慕情」を、日本語の歌詞で唄って大ブレイク、人気歌手の仲間入りを果たす[1]。なお「京都の恋」は、オリコンシングルレコード売上げでは85万枚を超え[1]、さらに1970年年間第10位、翌1971年年間第27位にそれぞれランク、自身最大のヒット曲となった。また「京都慕情」も、翌1971年度オリコン年間第15位にランクされている。
1971年 筒美京平作曲の「さいはて慕情」で第13回日本レコード大賞歌唱賞を受賞[3]。第22回NHK紅白歌合戦(NHK総合・ラジオ第1)に「京都慕情」で初出場[4]。又歌手としても、この年のシングルレコード売上げの年間第2位となった。
1972年、「風の日のバラード」で第23回NHK紅白歌合戦(NHK総合・ラジオ第1)に2回目の出場[5]。
1981年、(歌手としての第一線から一時引退)
1993年、「北ホテル」をリリース。
1997年、「京都ひとり」をリリース。
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近況
各地のディナーショーやイベントなどに出演。老人ホームのボランティア慰問なども行っている。
2004年8月7日、NHK思い出のメロディーで「京都慕情」を歌唱。
2006年には、1972年の日比谷公会堂のライブコンサートを収録した伝説のLPレコードがCD復刻版で発売された。
2008年、1970年に「京都の恋」が大ヒットし、渚が多忙になったために身を引いた当時の婚約者に再び求婚され、38年の時を経て結婚を決めた[1]。
2009年11月3日、第9回わが心の大阪メロディー(NHK総合)に出演。
2010年1月12日、NHK歌謡コンサート(NHK総合)に出演、「京都の恋」を歌唱。
2011年6月10日、1967年デビューからの全シングル26タイトルがMEG-CDで復刻された[6][7]。
2011年11月3日、木曜8時のコンサート〜名曲!にっぽんの歌〜で「京都の恋」を歌唱。
2012年8月18日、NHK思い出のメロディーで「京都の恋」を歌唱。
2013年5月2日、木曜8時のコンサート〜名曲!にっぽんの歌〜で「京都慕情」を歌唱。
2014年7月3日、木曜8時のコンサート〜名曲!にっぽんの歌〜で「月の夜は」を歌唱。
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ディスコグラフィ
シングル
オリジナル・アルバム
- 京都の恋(1970年12月21日、TP-7484)
- 南国の夜(1971年、TP-8075)
- さいはて慕情(1971年、TP-8083)
- 渚ゆう子 沖縄民謡を唄う(1972年、TP-8175)
- にほんの詩情(1972年12月20日、TP-8224)
- 京おんな 渚ゆう子京都を唄う(1973年、TP-9095)
ライブ・アルバム
ベスト・アルバム
- GOLDEN☆BEST 渚ゆう子(2002年11月20日、TOCT-10879)
企画アルバム
- 渚ゆう子ベストコレクション 京都フェロモン菩薩〜1201年京都の旅(1995年3月29日、TOCT-8787)
- 責任選曲・編集:みうらじゅん
タイアップ曲
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NHK紅白歌合戦出場歴
- 注意点
- 出演順は「出演順/出場者数」で表す。
脚注
関連項目
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