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2003年のマイケル・ルイスによるノンフィクション書籍 ウィキペディアから
『マネー・ボール』(原題: Moneyball: The Art of Winning An Unfair Game)は、マイケル・ルイスによるアメリカ合衆国のノンフィクション書籍。日本語版単行本の副題は「奇跡のチームをつくった男」。
マネー・ボール 奇跡のチームをつくった男 Moneyball The Art of Winning An Unfair Game | ||
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著者 | マイケル・ルイス | |
訳者 | 中山宥 | |
発行日 |
2003年 2004年(単行本)、2013年(文庫本) | |
発行元 |
W. W. Norton & Company ランダムハウス講談社 | |
ジャンル | ノンフィクション | |
国 | アメリカ合衆国 | |
言語 | 英語 | |
ページ数 | 288 | |
コード |
ISBN 4270000120(単行本) ISBN 4150503877(文庫本) | |
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メジャーリーグベースボール(MLB)の球団オークランド・アスレチックスのゼネラルマネージャー(GM)に就任したビリー・ビーンが、セイバーメトリクスと呼ばれる統計学的手法を用いて、MLB随一の貧乏球団であるアスレチックスをプレーオフ常連の強豪チームに作り上げていく様を描く。2003年に米国で発売され、ベストセラーになった。2011年にベネット・ミラー監督、ブラッド・ピット主演で映画化された。
2000年代初頭のMLBでは財力のある球団とそうでない球団の格差が広がり、財力のない球団では勝利に貢献できる大物選手を抱えることが出来ず、自力でそのようなスター選手を育てたとしてもことごとく財力のある他球団に引き抜かれてしまう、という状況が続いていた。このような財力のない球団のオーナーからは「もはや野球はスポーツではなく、金銭ゲームになってしまった」という嘆きの声が上がるほどであった。
そんな中、リーグ最低クラスの年俸総額でありながら黄金時代を築いていたチームがあった。ビリー・ビーンGM率いるオークランド・アスレチックスは毎年のようにプレーオフ進出を続け、2001年、2002年と2年連続でシーズン100勝を達成。2002年には年俸総額1位のニューヨーク・ヤンキースの1/3程度の年俸総額ながらも全30球団中最高勝率・最多勝利数を記録した。「アスレチックスはなぜ強いのか?」多くの野球ファンが感じていた疑問の答えは、徹底した「セイバーメトリクス」の利用に基づくチーム編成にあった。
ビーンがセイバーメトリクスを用いて独自に「勝利するために重要視すべき」と定めた諸要素は従来の価値観では重要とされないものばかり、つまり選手の年俸にほとんど反映されていないものばかりであっため、アスレチックスは低い年俸で有用な選手を獲得して戦力を上げることができたのである。ヤンキースなどの資金力のあるチームに比べて1勝にかかる金銭的コストがはるかに低く、「投資効率」を考えた場合極めて合理的な手段であった。
本著では、かつて有望選手として鳴り物入りでプロ入りしたビーンのプロ野球選手としての挫折に始まり、スカウトへの転身とセイバーメトリクスとの出会い、資金難・戦力難に陥り低迷するチームをGMとして率い球団の内外から挙がる批判・旧来の野球観と戦いながらセイバーメトリクスを用いた分析手法によってチームを改革していく様に、その影響を受けた選手たち、ビーンの方法論の元となったビル・ジェームズをはじめとするセイバーメトリクス論者たちの物語を交え、ドキュメンタリータッチで描く。
ビーンは野球をビッグボール的観点から「27個のアウトを取られるまでは終わらない競技」と定義付けた上で、それに基づいて勝率を上げるための要素をセイバーメトリクスを用いて分析。過去の膨大なデータの回帰分析から「得点期待値(三死までに獲得が見込まれる得点数の平均)」を設定し、それを向上させることのできる要素を持った選手を「良い選手」とした。
「状況(運)」によって変動する数値は判断基準から排除され、本人の能力のみが反映される数値だけに絞り込んで評価することが最大の特徴である。
打者・野手へ求める要素に対する裏返しであり、相手の得点期待値を下げ、アウトを稼ぐ能力のみを評価する。
これらの要素の多くは「従来の考え方では重要とされている(いた)が、セイバーメトリクスによる分析の結果チーム力向上への影響力が乏しいことが判明したもの」である。そのため、そのような要素を持った選手の獲得には他球団との競争が必至となり必要以上のコストがかかる上、獲得したとしてもそのコストに見合った働きが期待できないことから「限られた資金の中でシーズンを戦い、高い勝率で終える」という戦略目的においては重要度が低いと見なされる。
ただし、ビーンはこの「重視されない要素」そのものを完全否定することはしておらず、重要視はせずとも野球の競技を構成する要素であることには変わりないため、そのような要素(能力)が高いに越したことはないという考え方である。また、「他球団からは評価される」という点を用いてチーム編成にも利用した(後述)。
『マネー・ボール』が世に出ると、日米で大きな反響と議論を呼んだが、歴史のある野球界においてはその主張が余りにも突飛であり、かつ旧来の野球観を揶揄・否定するような記述が多かったため、一部の人々から反発と反感を買った。そのような人々は「スモールボールこそ至高の戦術、スマート・ボール(スマートな戦い方)である」と崇拝し、当時のロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムに代表される機動力野球(+早打ち[1])に賞賛を惜しまず、逆にアスレチックスのような「不動戦法」を無策・無能として下に見る傾向が強かった。彼等がスモールボールをことさらに礼賛する時、その裏側には対立概念であるマネー・ボールを貶めようとする情念が透けて見える[2]。
しかし、長打力偏重の「ビッグボール」が主流となりつつあった当時のMLBにおいて、ビーンの方法論は従来のビッグボールにセイバーメトリクスの価値観を付与し双方の有効性を極限まで突き詰めた戦術であると言え[2]、次第にこれを模倣する球団が次々に現れるようになり、やがてビッグボールを実践するにあたってデータを重視すること、特に出塁率(四球)に注目することはどのチームにとっても当然のこととなった[3]。
その上『マネー・ボール』が発表されその内容について一定の評価を得て以降、「マネー・ボール」とは単なる著書名に留まらず、「出塁率(特に四球の多さ)を重視する」「盗塁と犠打は極力避ける」「ドラフトでは高校生よりも大学生を優先指名する」など、「セイバーメトリクスに基づいた理論・戦略・戦術・作戦・選手評価システム・補強・編成・マネジメント」の総称としても用いられるようになっている[4][3][5]。
ただし、マネー・ボールの思想は原書の副題(The Art of Winning An Unfair Game:不公平なゲームに勝つための技術)にある通り、「低予算でいかに好チームを作り上げるか」という発想が根幹にある。例えば、ビーンが出塁率(四球)を重要視したのは、単にそれ自体が理に適っているということ以上に、他チームがそれを軽視していたがためにセレクティブ・ヒッター(選球眼が鋭い打者)を安価で獲得することが出来たからである。仮に他チームも同様に出塁率を重要視している状況であれば、当然セレクティブ・ヒッターを安価で獲得することは叶わずマネー・ボールは成り立たない。すなわち、マネー・ボールとは貧乏球団が金満球団と互角に戦うために編み出された「苦肉の策」であり、言わば「貧者の野球理論」なのである[5]。
なお、統計学の分析手法に基づいて出塁率と長打率を重んじ、犠打や盗塁は非効率的として極力敬遠するというマネー・ボール的戦術は、1960年代末から1980年代にかけて4度のリーグ優勝を果たしたボルチモア・オリオールズによって既に取り入れていたものであり、「1点しか取りに行かなかったら、1点しか取れない」と考えたアール・ウィーバー監督(当時)は、小技とスピードに依存することを潔しとせず、「投手力と守備力、3ラン・ホームラン」を信条としていたことで広く知られている[2]。作中でも度々言及されている通り、ビーンの方法論はビーン自身が独自に創り出したものと言うより、様々な人物が考案した理論を統合して高度に体系化し実践したものである。
旧守派から非難を受けたマネー・ボールではあるが、やはり反響も大きく、特にセオ・エプスタインGMのボストン・レッドソックスに代表されるように、豊富な資金力を誇る球団までもがこぞってビーンの手法を模倣してセイバーメトリクスを重視するようになると、かつて過小評価されていたはずの選手の市場価値が高騰。安価で良い選手を獲得することが難しくなったことで2000年代の後半からアスレチックスの成績も低迷するようになった[6]。
そのため、今日ではビーンの方法論にも若干変化が生じており、2000年代後半からは守備や走塁にも比重をかけるようになった[4]。実際、2009年シーズンのアスレチックスはラージャイ・デービスが41盗塁(リーグ4位)を記録。翌年も同選手が50盗塁(リーグ2位)を記録し、クリフ・ペニントンも29盗塁を記録。チーム盗塁数でも19年ぶりに150を越え(リーグ3位)、犠打数は12年ぶりに40を越えた[7]。
これについて、ビーンは「状況は絶えず変化する」と語っており(「変わらないのはアスレチックスの年俸総額ぐらいである」)、2008年現在は試行錯誤の時期であることを認めている[8]。ただし、盗塁に関しては出塁率、長打率に優れた選手を財力のある球団に獲られてしまうようになったため、苦肉の策として増えていただけで、盗塁にあまり効果がないという従来の主張は2000年代後半も変わっていないとしている[9]。
出版から時が経ち、本書において重要な位置を占める2002年のMLBドラフトの成果が定まってくると、その評価に関する論争が盛んになった。アスレチックスがこの年のドラフトで1巡目指名した(補完指名を含む)7選手のうち、メジャーリーグで一定の実績を残したのはニック・スウィッシャー、ジョー・ブラントン、マーク・ティーエンの3名である。これを多いと見るか、少ないと見るかについては意見が分かれているが、ビーン自身は「成功」だと自負している。
アスレチックスのスカウト部長エリック・クボタは「アマチュア選手の将来を予想するのは極めて難しい。『マネー・ボール』は、それを少しでもうまくやるためのもの」と語っており、当時のアスレチックスでビーンGMの右腕であったポール・デポデスタは、「メジャーに昇格する確率は、1巡目でも50%、2巡目で25%、3巡目だと10%になる。それぐらいギャンブル的なことだ。基本的には、優秀なメジャーリーガーを1人でも発掘できれば、そのドラフトは良しとすべきなんだ」と述べ、マネー・ボールが決して万能なものではないことを認めている。それでも、本書で特にスポットライトが当てられたジェレミー・ブラウンは、マネー・ボールの象徴的存在としてのプレッシャーと戦わなくてはならなくなった[10]。2008年に、ブラウンがメジャーで芽が出ないまま引退した際には、「マネー・ボールは死んだのか?」という議論が沸き起こった[11]。
また、この年のドラフトでは、ビーンが指名を避けた高校生投手の中から、コール・ハメルズ、マット・ケイン、スコット・カズミアーなどの一流投手が育ったことも批判の対象となった。しかし、ビーンは後に、高校生選手を完全に否定しているわけではないと述べ、本書の記述にやや誇張があることを示唆した[8]。
その他には、主役のビーンを引き立てるために、シカゴ・ホワイトソックスのケニー・ウィリアムズGMなど、ビーンのライバルとなる立場の人物がまるで無能のように描かれてしまっているということや、スコット・ボラスが代理人を務めていた選手の指名回避など、裏に存在していたであろう事情についての描写が薄いという指摘もある[8]。
ビーン政権下のアスレチックスはレギュラーシーズンには強さを見せ、毎年のようにプレーオフに進出するものの、ワールドシリーズには進出できていない。先述のような出塁率等を重視するチーム編成・戦術は、多くの試合を重ねる中で勝率を高めていくことに主眼を置くものであり、勝率ではなく先に定められた数の勝利を挙げなくてはならない短期決戦には必ずしも向いてはいない点がその要因に挙げられるが、そもそも最大でも7試合しか行わないプレーオフでは数値に「揺らぎ」が出やすいため、長期のレギュラーシーズンに比べて、チームの戦略や選手の能力よりも運や偶然が結果を左右しやすい。ビーンも「プレーオフまで進出させることが仕事」と、現状の分析方法および戦術の短期決戦における限界を認めている。
『マネー・ボール』が出版された翌年の2004年に、ソニー・ピクチャーズが映画化の権利を獲得した。2008年11月になって、ブラッド・ピット主演、スティーヴン・ソダーバーグ監督で映画化が発表されたが[12]、クランクイン3日前に突然制作中止が決定した。制作中止の理由は、ソダーバーグが手を加えた脚本に制作側が難色を示したためだと言われている。その後しばらく音沙汰のない状態が続いていたが、2009年12月、ベネット・ミラー監督の元で再始動が発表され[13]、2011年9月23日に全米公開された。
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