清水門
東京都千代田区北の丸公園内にある江戸城の門 ウィキペディアから
東京都千代田区北の丸公園内にある江戸城の門 ウィキペディアから
清水門(しみずもん)は、東京都千代田区北の丸公園内にある、旧江戸城の門[1]。東面する高麗門と南側に矩折りに建つ櫓門からなる桝形門である。1961年(昭和36年)に「旧江戸城清水門」として国の重要文化財(建造物)に指定されている。
清水門 | |
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旧江戸城 清水門 (2010年4月5日撮影) | |
情報 | |
管理運営 | 日本国(文部科学省) |
構造形式 | 木造 |
竣工 | 江戸前期 |
座標 | 北緯35度41分33.91秒 東経139度45分9.92秒 |
文化財 | 重要文化財(建造物) |
指定・登録等日 | 1961年(昭和36年)6月7日 |
清水門は、創建年代は明らかではないが、1607年(慶長12年)に、北の丸普請が行われていたことから、この時期に建てられたものと考えられている。現在の清水門が建っている辺りは、中世には清水寺があったといわれ、江戸時代には江戸城の一画に取り込まれ、北の丸への出入口として利用された。北の丸は、武家地として利用され、江戸時代中期以降は、御三卿のうち田安家(田安徳川家)・清水家(清水徳川家)の屋敷と蔵地に利用された。門を潜り進むと北の丸公園がある。往時、北の丸公園の東側は一帯は清水家が、西側一帯は田安家が、それぞれ所有していた。1624年(寛永元年)に、安芸広島藩主浅野長晟によって改築され、1657年(明暦3年)の大火で焼失したため、翌、1658年(万治元年)に再修築された。明治時代から戦前までは、近衛歩兵連隊の駐屯地となった。「江戸城跡」は国の特別史跡に指定されている。また、江戸城の門のうち清水門のほか、外桜田門と田安門が重要文化財(建造物)に指定されている[2]。
中世の頃に、現在の清水門の建っている辺りに、清水寺があったことから名付けられた。
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