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1981年前期のNHK連続テレビ小説第27作 ウィキペディアから
『まんさくの花』(まんさくのはな)は、1981年(昭和56年)4月6日から10月3日まで放送されたNHK連続テレビ小説第27作である。
父と3人の娘の生き方を通して、現代の家族のあり方を見つめた作品[3][4]。
連続テレビ小説といえば「太平洋戦争を挟んだ時代に生きた女の一代記」という路線が定番だった時代に「完全な現代劇」として制作された(その前の現代劇作品は1976年度後期の大阪制作『火の国に』で4年半 = 9期ぶり)が、次作『本日も晴天なり』から定番路線に戻る(その後の現代劇作品は1989年度前期の『青春家族』)[5]。
ヒロインは、当時無名塾の超難関テストを突破して、早稲田大学を卒業したばかりながら今作で本格女優デビューを飾った中村明美。
1981年の平均視聴率は37.1%、最高視聴率は42.4%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)[6]。
完全版・総集編共にDVDは未発売。
1年の半分が深い雪で埋もれる町、秋田県横手市の中里家は、父と娘の4人暮らし。妻に先立たれて以来、再婚もせずに3人の娘を育ててきた父・寛太は中学時代の数学教師で、赤ん坊の時養女としてこの家にもらわれてきた祐子は、澄子、朋子の妹としてわけへだてなく育てられ成長した。
昭和55年、雪深い横手の1月。祐子は高校卒業を目前に控えて、自分の進路について思いをめぐらせている。絵が好きで、県の美術展で知事賞をとったことがある祐子は、東京の芸術大学に進学し、絵の勉強をしたいと思っていた。
「お前の考えは地に足がついていない」
寛太は、最初のうちはそう言ってその願いを聞き入れなかったが、祐子の熱意におされて、ついに受験を許した。希望に満ちて上京した祐子だが、結果は不合格。
寛太との約束で、1度は就職を考える祐子だが、どうしても絵を学びたい気持ちを抑えることができない。思いつめた彼女は「私はもらい子だから好きなことはさせてもらえない」と叫んでしまう。見かねた長姉・澄子に頬を打たれ、はっと我にかえる祐子だが、でも、「東京に行きたい」という志望を抑えるおさえることができない。そんな気持ちを察した澄子は、夜明け前の凍りつくような朝、祐子を東京に送り出す。
上京した祐子は、絹代が切り盛りしているクリーニング店で、住み込み店員として働きながら、絵の勉強に打ち込むことになった。絹代は、祐子が横手の町で出会い、意気投合した若い未亡人で、店の従業員や近所の若者たちの草野球チームの監督もしている。
一方横手では、東京に出た祐子のことをひそかに気づかう寛太や澄子、そして姉よりも一歩早く結婚に踏み切った次姉・朋子たちの生活があった。
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