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日本のタレント、歌手 (1951-) ウィキペディアから
原田 伸郎(はらだ のぶろう、1951年〈昭和26年〉10月1日[1] - )は、日本のお笑いタレント、司会者、歌手、プロゴルファー、書道家。本名は同じ表記で「はらだ のぶお」と読む。
愛称はのぶりん。所属事務所はあのねのね事務所→ムーン原田伸郎事務所。
右京区花園寺ノ内町生まれ。父はブライダル関連の会社の社員。当時新興大学だった京都産業大学在籍中に先輩の清水国明、同級生の笑福亭鶴瓶および女性1名(のちの鶴瓶夫人)と一緒にあのねのねを結成。後に清水と2人でデビューを果たし、『赤とんぼの唄』が大ヒットした。大学生の頃、清水と原田は一緒に京都の三木半旅館で布団の上げ下げや、配膳のアルバイトをしたことがある[2]。
『あのねのねのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)のパーソナリティに抜擢されるがツアー活動を理由に一時降板をし、代役を笑福亭鶴光が務める。その後、オールナイトニッポンに復帰するが短命に終わってしまう。
1977年より清水とともに『ヤンヤン歌うスタジオ』(テレビ東京)で司会を担当。「ネコにゃんにゃんにゃん、イヌわんわんわん、カエルもアヒルもガーガーガー」などの一世を風靡したギャグ、女性アイドルがたじろぐツッコミ司会ぶりが人気を博し息の長い歌番組になる。1986年10月に同番組の司会を片岡鶴太郎に譲った後は、清水とは個別に活動するようになる。
以後、関西を拠点に『MBSヤングタウン』、『夜はクネクネ』など多数のレギュラー番組を持ち、サンテレビのゴルフ番組を中心に独立局の番組に出演をしている事が多い。
はんなりとした高音の声質を買われ、CMのナレーションも数多く務める。
関西ローカルではテレビやラジオに継続的な出演を行っているが、全国区での露出はCMのナレーションとして声だけが流れる程度となっているため、認知度が減少し、「あの人は今?」の企画で紹介されたことがある。
2004年12月中旬、顔面に麻痺が出る病気でテレビ・ラジオのレギュラー番組を休み療養生活を続けてきたが、2005年1月下旬から芸能活動を再開した。
2008年4月25日、両A面CDシングル『SAKURA』『ガンバルクイナ』を発売。ソロアーティストとしてライブ活動も開始した。
2009年1月17日、滋賀県伊香郡余呉町(現在の長浜市余呉町)から生放送されたレギュラー番組の『ときめき滋賀's』(びわ湖放送)の番組中に、地元の猟友会員から猟銃を手渡され約6秒間持ったとして銃刀法違反[注 1]により同局のプロデューサーら2人と猟友会員と共に滋賀県警が書類送検する方針であると報じられた[3]が、「銃の受け渡しはその場の流れで行われ、不法に所持しようとする意思はなかった」として原田の立件は見送られた[4]。
京産時代、落語長屋というクラブに所属していた。高座名は童亭寿限無(どうてい じゅげむ)。
書道家としても知られ「頌朗(のぶろう)」の名で個展なども開いている[5]。
30歳でゴルフを始め、2020年4月7日に六甲国際ゴルフ倶楽部東コース11番で人生初のホールインワン[6]。
私生活では離婚を1度経験。結婚2度目となる現在の妻は1995年3月1日に結婚した、元日活ロマンポルノのスター女優・高倉美貴。原田とは1987年によみうりテレビのドラマ『見上げればいつも青空』で原田の浮気相手という役柄で共演している。原田との結婚はそのドラマの共演がきっかけだった。
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