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山梨県を通る一般国道 ウィキペディアから
国道137号(こくどう137ごう)は、山梨県富士吉田市から笛吹市に至る一般国道である。
山梨県の南に位置する富士吉田市を起点に、山梨県の富士北麓地域と甲府都市圏を連絡し、笛吹市一宮町で国道20号と重複した後、終点の笛吹市に至る路線で、「御坂みち」の愛称が付されている[1]。
1919年(大正8年)に制定された旧道路法により、県道甲府吉田線として認定されたのが起源である[要出典]。1925年(大正14年)に山梨県知事により自動車交通の増大に対応し、未整備の笹子峠越えに代えて御坂峠越えとする新国道8号線計画が県会に提出され[要出典]、昭和天皇即位(御大典)記念事業として可決された[5]。1929年(昭和4年)には国道8号の経由地に河口村(現在の富士河口湖町河口)が追加され、現在の国道139号・137号を経由するルートとなった[要出典]。事業は、民政党浜口内閣が成立し、緊縮財政方針を受けた新知事が着任すると一時棚上げされた[要出典]。しかし、金解禁後の昭和恐慌により失業者が増大していたことから、道路事業は産業振興と失業対策事業としても求められ[5]、国庫補助の条件であった東京府失業者の半数雇用[5]には県会において政友会派の反対もあったが[要出典]、1930年(昭和5年)10月に着工、856万円の総工費と延べ36万人の労働力をかけて1931年(昭和6年)5月に貫通し、同年11月に峠越え区間が開通した[5]。
太平洋戦争を挟み、1952年(昭和27年)に制定された現在の道路法による国道指定が1953年(昭和28年)に実施された[6]。旧道路法で指定された国道8号は幹線道路としての不備もあったため、笹子峠越えのルートが一級国道20号となり、河口村経由のルートは、二級国道137号富士吉田甲府線および二級国道139号の一部となった。1965年(昭和40年)に国道の一級・二級の区別がなくなり、一般国道137号となって現在に至る。
御坂峠を通過する山梨県道708号富士河口湖笛吹線は、新御坂隧道が無料開放されるまでは本路線の現道であった。御坂峠にある御坂隧道の富士河口湖町側にある天下茶屋は太宰治と井伏鱒二が宿泊したとして石碑が建立されている[7]。
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