曽根藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
概要
戦国時代、曽根城は斎藤道三、織田信長に仕えた西美濃三人衆の一人・稲葉良通(一鉄)が治めていた。しかし良通の孫・稲葉典通は天正15年(1587年)の九州征伐において不手際があったことから、豊臣秀吉の怒りを買って蟄居となった。
代わって天正16年(1588年)、曽根城には西尾光教が2万石で入る。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは光教は東軍に与して大垣城攻略に貢献したことから、戦後に1万石加増の上で美濃揖斐藩に移封され、曽根藩は廃藩となり、その所領は徳川直轄領となった。
歴代藩主
- 西尾家
外様。2万石。
脚注
[ヘルプ]
- ^ 二木謙一監修・工藤寛正編「国別 藩と城下町の事典」東京堂出版、2004年9月20日発行(310ページ)
|
Text is available under the CC BY-SA 4.0 license; additional terms may apply.
Images, videos and audio are available under their respective licenses.
Cover photo is available under {{::mainImage.info.license.name || 'Unknown'}} license.
Cover photo is available under {{::mainImage.info.license.name || 'Unknown'}} license.
Credit:
(see original file).